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使徒の働き8:36 ~ 40

36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ごらんなさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」

38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。

39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。

40 それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。

エチオピア人の宦官の救い(5)

見えない御手の導き

「・・・水のある所に来たので、宦官は言った。『ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか』」。(1)荒野を進んでいくうちに、水のある所に来た。これは、神の摂理による導きである。ワジ(水なし川)に水が流れるのは、春(過越の祭りの季節)である。つまり、この宦官は、過越の祭りを祝うためにエルサレムに上っていたのである。(2)「私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか」。かつて彼は、ユダヤ教に改宗した際に、ミクヴェ(洗礼槽)で洗礼を受けたはずである。水から上がった瞬間、彼は新しいアイデンティティを得た。それ以降、彼はユダヤ人と見なされるようになった。そして今彼は、イスラエルのメシアを信じた証しとして、洗礼を受けようとしている。今度は、ミクヴェでなく荒野のワジで。(3)37 節は、後代の付加である。〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた〕(口語訳)
「・・・ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った」。(1)ユダヤ教の洗礼は、浸礼しんれいしかない。(2)聖霊がピリポを連れ去った。「ハルパゾウ」という動詞は、携挙けいきょを示す動詞である(1 テサ4:17)。ハルパゾウ→ラプツロ(ラテン語)→ラップチャー(英語で携挙を意味する言葉)。(3)ピリポはいなくなったが、宦官は喜びながら帰って行った。
「それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った」。(1)聖霊は、ピリポをさらに30 キロ北に運んだ。旧約時代、アゾトはアシュドデと呼ばれた。(2)それからピリポは、さらに80 キロ歩いてカイザリヤに行った。彼は、途中の町々で福音を宣べ伝えた。そしてカイザリヤが、彼の居住地となった。
エチオピア人の救いは、サマリヤ人の救いとサウロの回心の間に来る。当時、エチオピアは南の方にある地の果て、ローマは西の方にある地の果てと考えられていた。エチオピア人の救いは、異邦人の救いと地の果てまで届く伝道を予感させるものである。神の愛に境界線はないことを覚え、神の愛の実践じつせんを行う努力をしようではないか。

きょうの祈り

恵み深き父なる神さま。あなたの惜しみない愛を感謝します。あなたの愛を実践できるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書46~47、コロサイ人への手紙1