34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、
35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。
「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである」。(1)ここに見られるのは、相互扶助の原則である。その原則は、以下のように働いた。①信者の中に生活苦の者たちが出る。実際にエルサレム教会には生活困窮者が多くいた。②それを知った信者の誰かが、自発的に地所や家を売り、金に替える。これは強制ではない。③そして、その金を教会に委ねる。具体的には、使徒たちの足もとに置いた。④使徒たちは、その金を責任をもって管理し、必要に従って各々に分け与えた。 (2)使徒たちのこの種の奉仕は、後になって別の人たちに委譲されるようになる。使徒たちがみことばを教えることに専念出来るようになるためである。使徒6:1 ~ 6 では、日々の必要のために奉仕する7 人のリーダーが選ばれることになる。
先に進む前に、家の教会について考えてみよう。(1)初期の教会は、すべて家の教会であった。信仰は、限定的な聖なる場所(神殿)から解放され、普遍的な生活の場である家に本拠を移したのである。この状態が、約200 年間続いた。(2)私たちは、家の教会しかなかったのは経済的理由によると思いがちであるが、このこと自体が、建物中心の教会しか考えられない現代人の限界性を示している。今こそ、家の教会の利点に目を開かれる必要がある。(3)家の教会の利点として考えられるのは、以下のようなものである。①経済的利点。建物のためにお金を使う必要がなくなり、献金を伝道のため、愛の実践のために用いることが出来るようになる。②物理的利点。建物がなくても集会を開くことが出来る。③伝道上の利点。初期の教会においては、家の教会は信徒のための礼拝と交わりの場であった。彼らは日常生活の場で伝道し、決心した人を家の教会に招いた。新しく救われた人たちは、家の教会に受け入れられ、そこで弟子訓練を受けた。④文化的利点。家の教会は、どの文化とも調和する形態である。そこには、日常的な雰囲気、少人数の集会、対話型の集会が存在する。
教会とは何か。教会とは、イエス・キリストを救い主と信じる人たちの群れである。一番重要なのは、イエス・キリストが中心にいるかどうかである。このことを再確認し、教会成長のために献身しようではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。キリスト中心の教会成長を考えることができるよう、みことばの正しい理解を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エレミヤ書7~8、コリント人への手紙 第一13
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