32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。
ペテロとヨハネは、サンヘドリンから脅迫されたが、その脅しに屈することはなかった。教会は一致して神に祈った。そして神は、その祈りにお答えになった。「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした」(31 節)。きょうの箇所は、その大胆な宣教活動がどのような実を結んだかの報告である(第1 回目の教会成長報告は、使2:42 ~ 47 にあった)。
「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた」。(1)信者数は、どれくらいになっていたのか。①イエスの復活を目撃した人は500 人以上いた(1 コリ15:6)。②2 階部屋で祈っていたのは、120 人ほどの兄弟たちであった(使1:15)。③ペンテコステの日に、3,000 人ほどが弟子に加えられた。この段階で、女性や子どもも含めると、約1 万人になったと思われる。④ペテロの第2 回目のメッセージによって、5,000 人ほどが救われた(使4:4)。この段階で、女性や子どもも含めると、約2 万5,000 人になったはずである。ディアスポラのユダヤ人たちがエルサレムを離れた後も、2 万人前後の信者がエルサレムとその近郊にいたことになる。⑤当時、パリサイ派の正式なメンバーは約6,000 人で、サドカイ派の正式なメンバーはそれよりもはるかに少数であった(ヨセフスが残した記録)。両派が教会を敵視した理由がよく分かる。⑥使徒たちは、エルサレム教会の奉仕に手一杯の状態で、外に出て行く余裕はなかったと思われる。(2)「心と思いを一つにして、…すべてを共有にしていた」。①信者の間には、キリストの愛による一致があった。その一致は、物の共有という形で表現された。②必要が生じた場合、土地や家を売って、その代金を貧しい人に与えた。③これは、富の平等を目指したものではない。また、私有財産を否定するものでもない。これは、イエスの弟子たちによる自発的な慈善の実行である。
「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった」。(1)神の御心に叶う行為は、神に喜ばれる。使徒たちの力強いあかし(超自然的な力)は、神に喜ばれていることの証拠であった。(2)神の大きな恵みから漏れる人は、誰もいなかった。
神に喜ばれる歩みとはどのようなものなのか、黙想してみよう。神の大いなる恵みによって守られている人は、幸いである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。きょうもあなたが喜ばれる道を歩ませてください。あなたの大いなる恵みによって守られていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エレミヤ書5~6、箴言30
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