1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、
2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、
3 彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
4 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。
ここまでの文脈を確認しておこう。①「使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた」(2:43)。一つの例が、生まれつき足の不自由な人の癒しである。②ペテロは、集まって来た群衆に向かってメッセージを語った。彼は、「この男の癒しは、復活したイエスの力によるものである」と説明し、「イスラエルの民族的救いは、メシアの再臨とメシア的王国をもたらす」と教えた。③ペテロのメッセージの途中に、邪魔が入った。
「彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、」。(1)最初の迫害は、宗教的指導者たちからやって来た。ルカは、3つのグループを上げている。①祭司たち。ヨセフスによれば、当時、約2 万人の祭司たちがいた。祭司たちは24 の組に分かれていたので、24 人の祭司長たちがいた。ここでの「祭司たち」とは、何人かの祭司長たちであろう。②宮の守衛長。ヘブル語で「イシュ・ハル・ハバイアット」(神殿の丘の男)という。神殿警察の長であり、神殿域では、大祭司に次ぐ権威を有していた。③サドカイ人たち。祭司たちも宮の守衛長も、サドカイ派に属していた。ここでの「サドカイ人たち」とは、それ以外の人たちである。(2)サドカイ派は、政治的には親ローマで、一般大衆からの支持はなかった。神学的には、モーセの五書しか神のことばとして認めていなかった。また、天使や悪霊の存在、魂の永遠性、肉体の復活なども否定していた。彼らは、パリサイ派の口伝律法に強く反発した。(3)W.Graham Scroggie (1877 ~ 1958、英国人牧師、神学者)は、こうコメントしている。「祭司たちは、宗教的非寛容の象徴、宮の守衛長は、政治的敵意の象徴、サドカイ人たちは、合理主義的不信仰の象徴である」
「…ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、 彼らに手をかけて捕らえた。…」。(1)指導者たちが困り果てた理由は、無学な者たちが神殿域で教えていたからである。彼らは、使徒たちの教える死者の復活にも反発を覚えた。(2)ユダヤの法では、日没後の裁判は禁止されていたので、サンヘドリン(ユダヤ議会)は、翌朝裁判を行うことにし、ペテロとヨハネを神殿内の牢獄に留置した。(3)しかし、信じた人の数は、男が5000 人ほどになった。ペテロとヨハネは投獄されたが、神のことばは生きて働いていた。これが使徒の働きのテーマである。このことから教訓を得よう。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。あなたのことばが鎖につながれることはありません。きょうも、みことばの力を信じて歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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イザヤ書60~61、コリント人への手紙 第一8
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