12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
癒された男が大声で神を賛美している声を聞き、多くの人たちが一斉にソロモンの廊にいるペテロとヨハネのところにやって来た。ペテロは、この機会を利用してメッセージを語った。これは、旧約聖書を用いた伝道メッセージである。
「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか」。(1)「イスラエル人たち」という呼びかけは、正式な呼びかけの言葉である。「イスラエル」とは、契約の民に与えられた名称である。彼らは、ヤコブの子孫たちである。バビロン捕囚以降、ユダヤ人という名前が一般的になったが、本来、彼らは契約の民イスラエルである。ここでペテロは、意図的に融和的な名称を用いている。やがてそれが、「兄弟たち」という普段の呼びかけに変わる(17節)。(2)この癒しは、人間の力や信仰深さによるものではない。ルカは、使徒たちが普通の人たちであることを強調している。
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました」。(1)「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という御名は、ユダヤ人が日々の祈りで唱えるものである。ペテロは、神が「アブラハム契約の神」であることを強調している。(2)「私たちの父祖たちの神」は、ユダヤ人にとってはなじみ深い御名である。これは、「アミダー(Amidah)」(18 祈祷文、『シュモネ・エスレ』とも言う)と言う立祷の中に出て来る。「私たちの父祖たちの神」とは、アブラハム契約の神でもある(出3:13)。(3)「そのしもべイエス」は、イエスが「【主】(ヤハウェ)のしもべ」として地上に下ったお方であることを示している。「【主】のしもべ」という概念は、ユダヤ人たちにはよく知られていたものである(イザ42:1、49:6 ~ 7、52:13、53:11、マタ12:15 ~ 21 など参照)。(4)「そのしもべイエスに栄光をお与えになりました」。イエスが十字架につけられたことは、聴衆の皆が知っている事実であった。ペテロは、そのイエスが復活し、天に上げられたと主張する。
イスラエルは、契約の民にふさわしい信仰を発揮することが出来なかった(イエスを拒否した)。私たちの場合はどうか。クリスチャンという名に恥じない信仰生活を目指そうではないか。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。キリストを信じる信仰にふさわしい生き方ができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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