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使徒の働き3:6 ~ 11

6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、

7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、

8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。

9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。

10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。

11 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。

生まれつき足の不自由な人の癒し(3)

金銀は私にはない

「すると、ペテロは、『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい』と言って、彼の右手を取って立たせた」。(1)「金銀は私にはない」は、その男を失望させる言葉である。「しかし、私にあるものを上げよう」は、その男に期待感をいだかせる言葉である。(2)「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」は、おまじないの言葉ではない。ペテロは、イエス・キリストの代理人として、その権威によって命じている。この言い方が、使徒の働きには23 回出て来る。(3)「彼の右手を取って立たせた」。この奇跡は、人間の側の努力と神の力が一つになって起こったものである。
「するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。…」。(1)40 年間歩いたことのない人が、瞬時しゅんじに歩き始めた。「足とくるぶしが強くなり」は、医者ルカによる解説である。(2)この男の動きが詳細に描写されている。「おどり上がって」、「まっすぐに立ち」、「歩きだした」、「歩いたり」、「はねたりしながら」。(3)彼は、神を賛美しつつ、二人といっしょに宮に入って行った。間違いなく物乞い業を失業するのだが、彼にはそれ以上の喜びがあった。彼は人生で初めて、異邦人の庭から婦人の庭に入ったのであろう(2 サム5:8 参照)。

癒しの結果

「人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、…この人の身に起こったことに驚き、あきれた」。(1)神殿の中では、彼は騒々しいので人目についた。彼は、歩きながら神を賛美した。歩くことが出来る能力は、神の賜物である。(2)それを見た人々は、こしを抜かすほど驚いた。「美しの門」に座っていた男が、歩きながら神を賛美しているのである。
「この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た」。(1)「つきまとう」というよりは、「しがみつく」が正解であろう。彼は、肉体的にも精神的にも、一人歩きに不安を覚えたのであろう。(2)彼が広告塔になって、驚いた人々が多数ペテロとヨハネのところにやって来た。
この男は施しを求めたが、それ以上のもの(あし)を得た。私たちの祈りにおいても、似たようなことが起こる。神は、私たちに必要なものをご存じである。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたは願い求める者に答えてくださるお方です。どうか私の信仰を増し加えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書48~49、コリント人への手紙 第一4