41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
「ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、『この曲がった時代から救われなさい』と言って彼らに勧めた」(40 節)。悔い改めるとは、ナザレのイエスは主でありメシアであると信じることであり、また、イエスを拒否した世代と決別することである。ペテロの呼びかけに、多くの人たちが応答した。「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた」(41 節)
(1)ペテロのメッセージに「悔い改め」をもって応答した人は、信じた時点で救われた。彼らには、聖霊の内住が与えられた。つまり、聖霊は「信者をバプテスマする働き」を開始されたということである。その結果、教会が誕生した。(2)「バプテスマを受けた」。ユダヤ人のバプテスマは、浸礼しかない。これは、不信仰な世代から分離し、キリストと一体化したことを示すものである。つまり、内的信仰の外的表現である。(3)「その日、三千人ほどが弟子に加えられた」。当時、神殿の南側には、およそ200 の洗礼槽があった(考古学者の見解)。これまでに数十に及ぶ洗礼槽が発掘されている。これらの洗礼槽を使用すれば、三千人の洗礼を短時間の内に行うことは可能である。使徒たち自身が洗礼を授けたかどうかは、定かでない。バプテスマを受けた人たちは、「弟子」となったのである。その中には、巡礼者も多数いた。彼らは、それぞれの国に帰って行った(その地でイエス・キリストを宣べ伝えたであろう)。(4)人数が概数になっていることに注意すべきである。この中には、本当の信者でない者も含まれると考える学者もいる。出エジプトの際に、イスラエル人ではない外国人も交じってエジプトを出たという記録がある。そのように、いかなる霊的リバイバルの時でも、本物でない要素が混入するものである。本物と偽物を見分ける目を養おう。
三千人が決心するのを見て、ペテロはイエスのことばを思い出したことであろう。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタ4:19)。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです」(ヨハ14:12)。神が私たちに与えてくださる約束は、必ず成就する。
きょうの祈り
全知全能なる神よ。今もあなたは人々を救いに導いてくださっています。きょうも、あなたの約束に希望を抱きつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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イザヤ書38~39、コリント人への手紙 第一1
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