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使徒の働き2:33 ~ 40

33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。

34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。

35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

ペテロのメッセージ(6)

適用(3740 節)

「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った」。(1)ペテロが勧めの言葉を語る前に、人々は応答した。ペテロのメッセージには、聖霊による説得力があった。それゆえ、そのメッセージによって人々に認罪が与えられたのである。(2)彼らは、心を刺されるような痛みを覚え、御子みこを十字架につけた罪を、どうしたら赦していただけるのかと問うた。
「そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです』」。(1)「悔い改めなさい」はギリシア語で「メタノエオウ」である。これは、完全な方向転換を意味することばである。つまり、イエスに関する理解を完全に変え、イエスは主でありキリストであることを確信することである。(2)訳文だけを見ると、洗礼が救いの条件であるかのように感じるが、そうではない。救いは常に、恵みにより、信仰による。ここには、翻訳上の問題がある。「罪が赦されたのだから、バプテスマを受けなさい」という訳が正しい。(3)救いの約束は、神が召した人々に与えられている。「あなたがたと、その子どもたち」とは、ユダヤ人である。「遠くにいる人々」とは、異邦人である。(4)救いには両面がある。神的側面は、神の召しである。人間的側面は、悔い改めである。
「ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、『この曲がった時代から救われなさい』と言って彼らに勧めた」。(1)ペテロのメッセージの続きは、この節に要約されている。彼は、多くのことばをもって、証しをしたのである。(2)「この曲がった時代から救われなさい」は、「この曲がった世代から救われなさい」という意味である。「曲がった世代」とは、イエスを拒否した世代のことである。悔い改めることは、イエスを拒否した世代と決別し、イエスを信じる人々と一体化することである。バプテスマは、彼らにとっては決別と一体化の象徴であった。
内面の悔い改めは、外面の行動によって表現されなければならない。このことを自分に適用してみよう。

きょうの祈り

天の父よ。イエスは主でありキリストです。今、信仰と恵みによって救われていることを感謝します。きょうも御心に歩めるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書36~37、ローマ人への手紙16