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使徒の働き2:12~13

12人々はみな、おどろまどって、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。

13しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。

巡礼者たちの評価

2種類の評価

使徒たちが他国の言葉で話すのを聞いて、巡礼者たちは2種類の評価を下した。肯定的こうていてき評価と否定的ひていてき評価である。
「人々はみな、驚き惑って、互いに『いったいこれはどうしたことか』と言った」。これは、肯定的評価である。彼らは、奇跡が起きていることを認め、その意味を追求しようとしたのである。
「しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた」。これは、否定的評価である。その人たちは、「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」とあざ笑った。「甘いぶどう酒」とは、発酵はっこう途中の若いぶどう酒で、特に酔いやすいものである。当時のユダヤ文化では、酩酊めいていは非難の対象となった。特に、午前9時は朝のいけにえをささげる時間であり、その時間に酩酊するのは大問題である。さらに、神殿での酩酊も許されるものではない。

神の大局観

次に進む前に、離散のユダヤ人(ディアスポラ)について確認しておこう。(1)彼らは、ヘブライ語でガルート(追放)、ギリシア語でディアスポラ(散らされている者)と言われる。その起源は、アッシリヤ捕囚(前722年)とバビロン捕囚にある(前586年)。捕囚の地から帰還したのは、一部のユダヤ人たちであった。ローマ時代には、商機を求めて自発的に移住したユダヤ人たちもいた。(2)古代最大のユダヤ人の共同体は、アレクサンドリアにあった。前1世紀のアレクサンドリアでは、人口の約40%がユダヤ系であった。紀元1世紀のディアスポラ人口は、約500万人で、その5分の4は、ローマ帝国内に住んでいた。(3)紀元70年以降、状況が変わった。神殿を失ったユダヤ人たちは、オリエント、ローマ世界の大都会で土着化し始めた。しかし、異邦人の文化と同化することはなかった。そのことが、反ユダヤ主義の一因となっていく。(4)ディアスポラの存在は、福音伝達のための有効な手段となった。エルサレムでの聖霊降臨の出来事が、短時間の内にローマ世界に伝わった。さらに、パウロの伝道は、ディアスポラの地のシナゴーグと深い関係にあった。
ディアスポラが出現した歴史は悲惨ひさんなものであるが、神はそれさえもご自身の計画の成就のために用いられた。神は、大局観をもって歴史を導いておられる。私たちの視点も、神の大局観に立ったものでなければならない。そのためには、聖書研究が不可欠である。「聖書研究から日本の霊的覚醒(目覚め)が」というモットーは、的を射たものである。

きょうの祈り

天の父よ。どうか、みことばを正しく理解し、あなたの視点から歴史を見ることができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書24~25、ローマ人への手紙12