7彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
8それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
9私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
10フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
11ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
「彼らは驚き怪しんで言った。『どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう』」。(1)使徒たちがガリラヤ人であることは、すぐに分かった。他国の言葉で話していても、ガリラヤ訛りがあったのである。当時、ガリラヤ人は、田舎者として見下されていた。その田舎者たちが、なぜこれほど多くの外国語(巡礼者たちの出身地の方言)を流暢に話すことが出来るのか。(2)ここでの「国語」(8節)は、「グロッサ」ではなく「ディアレクトス」、つまり方言である。使徒たちは、方言で神を賛美していたのである。これは、福音(悔い改めのメッセージ)の伝達ではなく、巡礼者たちの関心を引くための「しるし」である。次に続くペテロの伝道メッセージは、共通言語のアラム語で語られたと思われる。
(1)「パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ」は、東方の人々である。彼らは、アッシリヤ捕囚とバビロン捕囚によるディアスポラで、アラム語を話していた。ちなみに、バビロンには大きなユダヤ人共同体とラビ養成学校があった。(2)「ユダヤ」というのは、ローマの行政区を意識した言葉である。これは、シリヤも含んだ地域で、そこの言語は、やはりアラム語である。(3)「カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ」は、小アジヤ(今のトルコ)の国々で、そこの言語はギリシア語である。(4)「エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち」は、北アフリカの国々の住民である。言語は、やはりギリシア語である。(5)「また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる」。ローマ人たちの言語は、ラテン語である。ここでの節の区分(10節と11節の区分)は、不幸である。ルカは、ローマ人たちの中には、ユダヤ人もいれば改宗者もいたと、注意書きを付けているのである。(6)「クレテ人とアラビヤ人」の言語は、それぞれ、ギリシア語とアラビヤ語である。
以上リストアップされたどの国にも方言があった。巡礼者たちは、自分たちのお国言葉で使徒たちが神を賛美しているのを聞いたのである。これは、神が働いておられることを示す「しるし」となった。巡礼者たちは、次に語られるペテロのメッセージに真剣に耳を傾けざるを得なくなった。神の主権を覚え、御前にひれ伏そうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたは不思議を行われるお方です。今あなたの主権を覚え、御前にひれ伏します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
イザヤ書22~23、ローマ人への手紙11
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