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使徒の働き2:1~4

1五旬節ごじゅんせつの日になって、みなが一つ所に集まっていた。

2すると突然、天から、はげしい風が吹いて来るようなひびきが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

3また、炎のような分かれたしたが現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

4すると、みなが聖霊せいれいに満たされ、御霊みたまが話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

聖霊降臨(3)

What(何を)

今回は、五旬節の日に何が起こったのかを見てみよう。「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった」
(1)「激しい風」とある。風が吹いたのではなく、響きが起こったのである(肌ではなく耳で感じた)。風はヘブル語で「ルハァ」であるが、聖霊も同じ言葉である。風は、聖霊の象徴である。エゼキエル37章のれ骨の谷の箇所かしょでも、風は聖霊の象徴である。(2)「炎のような分かれた舌」とある。これは、実際の炎ではなく、そのように見えたのである(肌ではなく目で感じた)。炎のようなかたまりが分化し、舌の形を取って使徒たち一人ひとりの上に留まった。火も、聖霊の象徴しょうちょうである。聖霊がついに劇的な方法で降臨され、イエスの約束は成就した。(3)出エジプト1920章と使徒2章を対比させてみよう。両者の間には、約1500年の隔たりがある。両方の出来事には、ともにシャカイナグローリーが伴った(出1918参照)。シナイ山に降りて来られた神は、今や信者の心に内住するようになられた。ルカも使徒たちも、この対比に関しては、よく理解していた。
「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」。(1)使徒たちには、他国のことばで話す能力が与えられた。「分かれた舌」は、「ことば」の象徴である。「ことば」はギリシア語で「グロッサ」であるが、「異言いげん」とも訳される。(2)このことばは、現実に存在する、文法的に理解可能なことばであった。この現象は、聖霊が使徒たちを通して語っているのではなく、聖霊が使徒たちに話す能力を与えているのである。(3)この時点で、使徒たちはキリストの証人となるための力を受けた。この日、エルサレムにいた巡礼者たちは、教会の誕生を目撃した。(4)これ以来、キリストを信じる者の内に、聖霊が内住されるようになった。また、キリストを信じた者はキリストの教会と一体化させられるようになった。この「一体化」のことを「聖霊によるバプテスマ」という。
私たちもまた、キリストを信じた瞬間、聖霊によって「キリストの教会の一員」とされた。キリストの教会(普遍的教会)は、今も建設途上にある。それが完成すると、教会は天に上げられる(携挙)。神の計画に沿って生きている人は、幸いである。

きょうの祈り

天の父なる神さま。聖霊によってキリストの教会の一員とされたことを感謝します。きょうも、あなたのご計画に沿って歩んでまいります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書16~17、箴言26