18 ダビデは逃げ、のがれて、ラマのサムエルのところに行き、サウルが自分にしたこといっさいをサムエルに話した。そしてサムエルと、ナヨテに行って住んだ。
19 ところが、「ダビデは、なんと、ラマのナヨテにいます」とサウルに告げる者がいた。
20 そこでサウルはダビデを捕らえようと使者たちを遣わした。彼らは、預言者の一団が預言しており、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。そのとき、神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。
21 サウルにこのことが知らされたとき、彼はほかの使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。サウルはさらに三度目の使者たちを送ったが、彼らもまた、預言した。
22 そこでサウル自身もまたラマへ行った。彼はセクにある大きな井戸まで来たとき、「サムエルとダビデはどこにいるか」と尋ねた。すると、「今、ラマのナヨテにいます」と言われた。
23 サウルはそこからラマのナヨテへ出て行ったが、彼にも神の霊が臨み、彼は預言しながら歩いて、ラマのナヨテに着いた。
24 彼もまた着物を脱いで、サムエルの前で預言し、一昼夜の間、裸のまま倒れていた。このために、「サウルもまた、預言者のひとりなのか」と言われるようになった。
きょうの箇所から、およそ10年に及ぶダビデの放浪生活が始まります。この期間は、人間的に見れば実に苦しい人生の荒野でしたが、神の視点から見ると、別の理解が可能になります。この間、ダビデの信仰が試され、純化されていきました。それは、イスラエル王となるために必要な訓練の過程でした。
ダビデはまずサムエルを訪ねています。サムエルが彼に油注ぎを与えていたからです。(1)ラマは、ギブアの北方約5kmの地点にあります。そこがサムエルの住んでいた町です。(2)ラマのナヨテには、サムエルが設立し、指導していた預言者のための訓練施設がありました。ダビデはそこにしばらく留まることにしました。(3)それを知ったサウルは、早速使者たちを遣わしてダビデを捕えようとしました。(4)ところが、不思議なことに彼らは預言を始めたのです。これは、祝された預言ではありません。神の裁きが下り、彼らは茫然自失の状態となって、ダビデを暗殺するという当初の目的を忘れてしまったのです。(5)第2次、第3次の使者たちにも同じ事が起こります。全員が、裁きを受けた結果、預言を語り始めたのです。
ついにサウル自身が出向くことになりました。しかし彼にも、同じ事が起こりました。(1)これもまた裁きの結果としての預言です。彼は着物を脱いでいます。一昼夜の間、裸で倒れていました。これは、サウルの上に神の裁きが下っている証拠です。(2)サウルが預言したのは、これが二度目です。最初のものは、10:10に記されています。「サウルもまた、預言者のひとりなのか」ということわざは、そのときに誕生したものです。
サウルが気づいていなかったのは、ダビデの上には神の守りがあるので、彼が殺されることはないという点です。神の計画に反抗することは恐ろしいことです。どこに神の御手が伸ばされているかをよく吟味し、神の計画に沿って人生の選びをしようではありませんか。神のみこころの中にいることが最も安全な道であることを覚えましょう。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたのご計画は完全です。どうか私が、そのご計画に敵対することのありませんように、私を守り、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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