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サムエル記第一18:5~9

5 ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。

6 ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。

7 女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」

8 サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」

9 その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。

サウルのねたみ

王位を脅かすライバル

ヨナタンはダビデの活躍を喜びましたが、サウルはそうではありませんでした。(1)最初はサウルも、ダビデのような勇士が与えられていることを誇りとし、喜びました。しかし残念ながら、彼はねたみ心を起こし、ダビデを自分の王位を脅かすライバルとして見るようになります。(2)そのきっかけになったのが、女たちの歌です。当時ダビデは、勝利に勝利を重ね、戦士たちの長に抜擢ばってきされていました。あるとき、ペリシテ人との戦い(ゴリヤテに勝利した戦いとも取れます)に勝利して帰って来たダビデと戦士たちを、女たちが歌と踊りで迎えました。その歌の歌詞は、2行詩でした。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」。(3)それを聞いてサウルは不快に感じ、非常に怒りました。彼の理屈はこうです。「ダビデがこのように自分よりも上に置かれているとするなら、彼にないのは王位だけだ」。ここには論理の飛躍が見られますが、それは罪人の特徴でもあります。聖霊が去ったサウルは、客観的に物事を見られなくなっていました。猜疑心さいぎしんと恐れが彼を支配していました。

疑いの目

その日から、サウルはダビデに王位を奪われるのではないかと疑心暗鬼ぎしんあんきになります。何かにつけて、ダビデを疑いの目で見るようになります。恐らく、サムエルが語った預言が彼の心の中にあったのだと思われます。サムエルは彼に、「あなたが主のことばを退けたので、主もあなたをイスラエルの王位から退けたからです」(1526)と通告していました。
ねたみは私たちから平常心を奪います。ねたみが起こってくる原因は、私たちが神のみわざよりも自分の成功に関心があるからです。伝道者(ソロモン)は、こう語っています。「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ」(伝道者4:4)。主に用いられている器に対してねたみを起こすことのないように、祈りましょう。また、ひとりひとりがその賜物にふさわしく用いられるように祈りましょう。サウルの心ではなく、ヨナタンの心が与えられるように祈りましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか私をねたみから解放し、あなたに用いられている器のために祈る者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

士師記7~8、ルカの福音書14

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