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サムエル記第一16:11 ~ 13

11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」

12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」

13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。

ダビデへの油注ぎ

末の息子

人間の判断と神のそれとは大きく異なります。きょうの箇所は、その好例です。大事な食事の席に招かれていなかった息子がいました。8番目の息子で、羊の番をしていました。(1)父エッサイは、なんらかの理由でその子を評価していません。詳しい理由はわかりませんが、兄たちよりも低く見ていたことは確かです。(2)サムエルはその子が来るまで、食事を始めないで待ちました。この時点でも、サムエルは自分がベツレヘムに来た本当の理由を隠しています。(3)エッサイが人をやってその子を呼び寄せると、彼は見目麗しく、心も清く、神の御旨にかなっていました。主はサムエルに、「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ」とお命じになりました。
この時点では、エッサイもその息子たちも、これは何か重要な任務につくための油注ぎであろうと、考えていたのです。サムエルが油注ぎの真の目的を明らかにしなかったのは、サウル王を恐れたからです。

ダビデという名

サムエルは兄弟たちの真ん中で彼に油を注ぎました。(1)彼の名は、ダビデと言いました。その意味は、「愛された者」というものです。この名は、御子イエスにそのまま当てはまります。ダビデはイエスの型です。(2)ダビデはすでに主を信じる信仰者(新約的に言うと、聖霊による救いを体験していた人物)でしたが、油注ぎを受けると、主の霊が激しく彼に下りました。これは、使命を全うするために必要とされる聖霊の力が与えられたということです。ダビデには、王としての知恵、勇気、判断力、信仰などが与えられたのです。(3)サムエルは安心してラマの自分の家に帰り、その後安らかに地上生涯を終えました。彼はサウルのために心を痛めましたが、今やイスラエルの救いを見たからです。
エッサイやサムエルがダビデを選んだのではありません。主が自らの手でダビデを選んだのです。私たちも、外面的にはこの世から評価されないような存在かもしれませんが、イエス・キリストにあって神に選ばれた者です。選ばれた証拠として、聖霊による証印が押されています。神の霊に導かれる人は誰でも、神の子です。きょうも、聖霊の声に聞き従いましょう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。内側に与えられている聖霊を感謝します。きょうも、聖霊の声に聞き従いつつ、一日を過ごすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨシュア記13~14、ルカの福音書7

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