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サムエル記第一16:6 ~ 10

6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。

7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前にすすませた。サムエルは、「この者もまた、主は選んでおられない。」と言った。

9 エッサイはシャマを進ませたが、サムエルは、「この者もまた、主は選んではおられない。」と言った。

10 こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んではおられない。」

エッサイの息子たち

サムエルの誤った評価

いけにえをささげる儀式は、その後に開かれる宴会とセットになっていました。その宴席に、エッサイの息子たちが招かれました。エッサイには8人の息子たちとふたりの娘たちがいました。
(1)最初に来たのが、長男のエリアブです。サムエルは彼を見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思いました。しかし、その評価は間違っていました。(2)エリアブは、サウル王のように背が高くて、容貌のすぐれた者でした。つまり、サムエルは民がサウルを王に選んだときの基準をここで採用しているのです。不思議なことですが、サムエルほどの人物でも、外見にとらわれるという弱点を持っていたのです。(3)そのとき主はサムエルに、あの有名なことばを語られました。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。‥‥人はうわべを見るが、主は心を見る」。この原則は、今も生きています。神は私たちの心がどうなっているかに、常に関心を払っておられます。

退けられた7人の息子

次に出てきたのが、次男アビナダブです。彼もまた、選びの器ではありませんでした。続いて、三男シャマ以下、4人の息子たちが次々に登場しますが、いずれも主が選んだ人物ではありませんでした。歴代誌第一2:1415には、エッサイの息子たちの名が記されています。四男がネタヌエル、五男がラダイ、六男がオツェム、七男がダビデとなっています。ダビデは八番目ですから、誰かひとり抜けていることになります。恐らく、その息子は早死にしたので、そのリストからははずされているのでしょう。
神の選びの不思議さに注目しましょう。神は父エッサイからはほとんど無視されていた末の息子を選んでおられました。取るに足りない者に恵みを注ぎ、ご自身の子としてくださるのが神の方法です。パウロはコリントのクリスチャンたちに、「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」(コリント1:27)と書き送っています。神の恵みを受けた者として、きょうも神の栄光を輝かす歩みをしようではありませんか。

きょうの祈り

全知全能の神よ。心をご覧になるあなたの前で、何一つ隠しおおせるものはありません。どうか、良心に恥じない歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨシュア記11~12、ルカの福音書6