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サムエル記第一12:12~18

12 あなたがたは、アモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、【主】があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めなければならない』と私に言った。

13 今、見なさい。あなたがたが選び、あなたがたが求めた王を。見なさい。【主】はあなたがたの上に王を置かれた。

14 もし、あなたがたが【主】を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、【主】の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、【主】のあとに従うなら、それで良い。

15 もし、あなたがたが【主】の御声に聞き従わず、【主】の命令に逆らうなら、【主】の手があなたがたの先祖たちに下ったように、あなたがたの上にも下る。

16 今一度立って、【主】があなたがたの目の前で行われるこの大きなみわざを見なさい。

17 今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が【主】に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたがたは王を求めて、【主】のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」

18 それからサムエルは【主】に呼び求めた。すると、【主】はその日、雷と雨とを下された。民はみな、【主】とサムエルを非常に恐れた。

王を立てるにあたっての勧告

アモン人の王ナハシュ

イスラエルの民が王を求めた次第は、8章に書かれていました。きょうの箇所にきて初めて、民が王を求めた理由はアモン人の王ナハシュの侵攻にあったことがわかります。ナハシュは最初、ヨルダン川東岸にあったイスラエル人の居住区を攻撃し始めたのでしょう。やがて彼は、ヤベシュ・ギルアデを包囲するようになりました(11章)。ギブアにいたサウルがイスラエルの民を召集したのは、その後です。
(1)サムエルは、主が王として民を救ってくださるのに、人間の王が欲しいと言い張ったのは罪であることを指摘します。彼らはイスラエルの王である主を退け、人間の王を欲したからです。(2)主は民の上に王を置くことに同意されました。これは、許容的御心というものです。そのようにして置かれた王が、サウルです。(3)王が置かれた後も、モーセの律法は生き続けています。主の祝福を得るためには、王も民もその律法に忠実に歩まねばなりません。それが、主の御声に従うということです。(4)もし主の命令に逆らうなら、先祖たちに下ったような主からの裁きが民の上に下るようになります。

雷と雨の奇跡

サムエルは、自らの勧告が主から出たものであることを明確に印象付けるために、奇跡を願い求めています。(1)時は小麦の刈り入れ時、今でいうと5月末から6月にかけての時期です。この時期、イスラエルでは雨が降りません。(2)しかしサムエルは主に呼び求めました。主はその祈りに答え、雷と雨とを下されました。(3)これは、タイミングの奇跡です。通常はありえないタイミングで、雷と雨とが下ったのです。
これによって民は、自分たちの罪がいかに大きかったかを学び、主への恐れを身につけました。これ以外の方法では、自らの罪深さを実感できなかった者が大勢いたことでしょう。私たちが頑なに一つのことを求めるなら、神は「許容的御心」によってそれを与えてくださる場合があります。しかしその場合は、願ったことが実現したとしても、実際は神を悲しませていることになります。自分で神を動かそうとする愚かな罪を犯していないかどうか、自己吟味をしてみましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたの偉大なお姿をはっきりと見ることができますように、私の霊の目を開いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

申命記9~10、マタイの福音書22