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サムエル記第一10:1~8

1 サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。

2 あなたが、きょう、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、ふたりの人に会いましょう。そのふたりはあなたに、『あなたが捜して歩いておられるあの雌ろばは見つかりました。ところで、あなたの父上は、雌ろばのことなどあきらめて、息子のために、どうしたらよかろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます』と言うでしょう。

3 あなたがそこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで来ると、そこでベテルの神のもとに上って行く三人の人に会います。ひとりは子やぎ三頭を持ち、ひとりは丸型のパン三つを持ち、ひとりはぶどう酒の皮袋一つを持っています。

4 彼らはあなたに安否を尋ね、あなたにパンを二つくれます。あなたは彼らの手から受け取りなさい。

5 その後、ペリシテ人の守備隊のいる神のギブアに着きます。あなたがその町に入るとき、琴、タンバリン、笛、立琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会います。彼らは預言をしていますが、

6 【主】の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

7 このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。

8 あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私がなすべきことを教えます。」

サウルの油注ぎ

油注ぎ

サムエルは秘密裏に、サウルに油注ぎをします。(1)油注ぎは、物や人を聖別するために行なわれたものです。(2)ここでは、サウルを神に聖別された王として立てるために、油注ぎが行なわれています。(3)ヘブル語のメシアという言葉は、「油注がれた者」という意味です。人類の救い主として登場するお方こそ、究極的な意味で神からの油注ぎを受けたお方です。
サムエルは、サウルの頭に油を注ぎ、口づけし、サウルに確証を与えるために、これから起る三つのことを預言します。これらは、サウルに王権が与えられていることを証明する三つのしるしとなりました。

三つのしるし

(1)まず、ラケルの墓のそばで、ふたりの人がサウルに会い、雌ろばが見付かったことと、父が彼のことを心配しているということを報告する。(2)次に、タボルの樫の木の所で、それぞれ供え物(子やぎ3頭、丸型のパン3つ、ぶどう酒の皮袋)を携えている3人の人に出会うが、彼らはパンを2個くれるから、それをもらえばよい。(3)3番目に、神のギブアに入るときに、預言者の一団に出会う。彼らは楽器を奏で、賛美しながら高き所から降りて来る。そのとき、サウルの上にも神の霊が激しく下り、彼は変えられて全く新しい人となる。それらのことが起こったなら、それは「神がともにおられることのしるし」であるから、何事でも時に応じて実行せよ。
主の霊によってサウルに新しい知恵と力とが与えられます。そういう意味では、サウルは確かに新しい人となりました。しかしこれが、新約聖書で教えている「新生体験」と同じかどうかは、大いに疑問です。その証拠に、サウルは王権が確立されるにつれて、傲慢になっていきます。きょうの箇所の最後でも、サムエルはサウルに、先にギルガルに行き、後から着く自分を7日間そこで待つようにと命じています。しかし結果的には、サウルはその命令に従わず、最初の、しかも致命的な過ちを犯すようになります。このことからも、真に大切なのは新生体験であることがわかります。「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:15)。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私を新しく造り変え、内側に聖霊が宿る器としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

民数記27~28、マタイの福音書15