11 彼らはその町の坂道を上って行った。水を汲みに出て来た娘たちに出会って、「ここに予見者がおられますか」と尋ねた。
12 すると、娘たちは答えて言った。「ついこの先におられます。今、急いでください。きょう、町に来られました。きょう、あの高き所で民のためにいけにえをささげますから。
13 町にお入りになると、すぐ、あの方にお会いできるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来て、いけにえを祝福されるまでは食事をしません。祝福のあとで招かれた者たちが食事をすることになっています。今、上ってください。すぐ、あの方に会えるでしょう。」
14 彼らが町へ上って行って、町にさしかかったとき、ちょうどサムエルは、高き所に上ろうとして彼らに向かって出て来た。
サウルと若者とは、水を汲みに来た娘たちに出会い、予見者がその町にいるかどうかを尋ねました(当時は、水汲みは婦人たちの仕事でした)。すると彼女たちから、その日は絶好の機会であるとの情報を得ます。
(1)その日サムエルは、高きところでいけにえを捧げるために町に来ていました。(2)この時代は、まだ神殿が建っていない時代でしたので、サムエルのような祭司が、高きところ(祭壇)でいけにえを捧げることは許されていました。(3)いけにえを捧げた後、サムエルは招待客たちとともに食事をする予定になっていました。
先に進む前に、神の摂理がいかに素晴らしく働いているかを確認してみましょう。(1)イスラエルの民は王を求めました。神はこの要求を受け入れましたが、それは許容的御心でした。(2)神の人物選定作業が始まります。最初の出来事は、キシュの雌ろばがいなくなるというものでした。(3)キシュは息子のサウルに命じてそれを捜させますが、いくら捜しても見つかりませんでした。(4)家に帰ろうとしたとき、連れの若者は予見者のもとに行くことを提案します。なんと彼は、贈り物に使う銀4分の1シェケルを持っていたのです。(5)その日サムエルは、いけにえを捧げるためにラマに来ていました。(6)そしてサムエルとサウルとは、町の中央で出会いました。
神の摂理とは、「神の見えざる手」のことです。日常的な出来事の背後に、神の御手があります。その御手に運ばれて日々の生活を送っている人は幸いです。きょうも平安の内を歩もうではありませんか。神は私たちに必要な出会いを、摂理によって用意しておられるのですから。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたは私にとって何が必要で、何が最善かをご存知です。どうかきょうも、摂理の御手で私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
民数記21~22、詩篇19~20
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