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サムエル記第一6:10~18

10 人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、それを車につないだ。子牛は牛小屋に閉じ込めた。

11 そして【主】の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた鞍袋を載せた。

12 すると雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一筋の大路をまっすぐに進み、鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、そのあとについて行った。

13 ベテ・シェメシュの人々は、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げたとき、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。

14 車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に入り、そこにとどまった。そこには大きな石があった。その人たちは、その車の木を割り、その雌牛を全焼のいけにえとして【主】にささげた。

15 レビ人たちは、【主】の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋とを降ろし、その大きな石の上に置いた。ベテ・シェメシュの人たちは全焼のいけにえをささげ、その日、ほかのいけにえも【主】にささげた。

16 五人のペリシテ人の領主たちは、これを見て、その日のうちにエクロンへ帰った。

17 ペリシテ人が、償いとして【主】に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。

18 すなわち金のねずみは、五人の領主のものであるペリシテ人のすべての町──城壁のある町から城壁のない村まで──の数によっていた。終わりに【主】の箱が安置されたアベルの大きな台は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。

神の箱の帰還

主に従う雌牛

ペリシテ人たちは、新しい車に主の箱と罪過のためのいけにえ(金でできた腫物の像とねずみの像)を載せ、2頭の雌牛にそれを引かせました。(1)雌牛は、子牛恋しさに鳴きながら進み続けました。雌牛には母性本能が働いていたのです。(2)しかし雌牛は、母性本能よりも、創造主に従いました。驚くべきことに、子牛のほうには行かず、分かれ道に来ても曲らず、まっすぐにベテ・シェメシュに向かって行ったのです。(3)ペリシテの領主たちはベテ・シェメシュの国境まであとをついて行きました。彼らの目には、イスラエルの神が雌牛を導いていることがはっきりとわかりました。

ベテ・シェメシュの人々の喜び

ベテ・シェメシュは、エクロンの東方約10kmにある国境の町です。(1)牛車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に行き、そこで止まりました。(2)ベテ・シェメシュの人々は、ソレクの谷と言われる所で小麦の刈り入れをしていました。時期的には、今の5月から6月頃です。(3)神の箱を見た人々は、大いに喜びました。彼らは、収穫を喜ぶ以上に、神の箱の帰還を喜びました。(4)彼らは早速、車を割って薪とし、その雌牛を全焼のいけにえとして主に捧げました。イスラエル人たちは、いけにえには金の像ではなく、血の犠牲が必要であることを知っていたのです。(5)ベテ・シェメシュで全焼のいけにえを捧げることの当否について考えてみましょう。幕屋があったシロの町はすでに破壊されていましたので、祭司がいけにえを捧げる限り、ベテ・シェメシュであっても許されました。またこの雌牛は、「くびきをつけたことのない牛」でしたので、いけにえとして適格でした。(6)ベテ・シェメシュの人々は、それ以外にもいけにえを主に捧げました。5人のペリシテの領主たちは、この様子を見て、その日のうちにエクロンに帰りました。
預言者イザヤは、後になってイスラエルの民に関してこう預言しています。「牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない」(イザヤ書1:3)。私たちも、本能や自分の感情ではなく、創造主であり救い主である方に従いましょう。

きょうの祈り

創造主よ。あなたの摂理、導きに喜んで従うことができますように、私を助けてください。2頭の雌牛から教訓を学ばせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

レビ記26~27、マタイの福音書5