1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。
2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。
3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」
4 そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。
当時、イスラエルにとっての宿敵はペリシテ人でした。ペリシテ人とは、エーゲ海沿岸を出身地とする海洋民族で、もとはハム系の民族です。それが、カナンの地に移住してきていたのです。(1)ペリシテ人は、シロの西方30km余りの所にあったアフェクに陣を敷きました。(2)イスラエルはその東方のエベン・エゼル近辺に布陣しました。(3)緒戦でイスラエルは敗北し、約4,000人の戦死者を出しました。(4)イスラエルの長老たちは、なぜ敗北したのかを考え、解決策として、シロから契約の箱を陣営に運び込むことにしました。
聖書にくり返し出てくるパターンは、指導者の誤った判断が民を間違った方向に導くというものです。ここでも、そのパターンが見られます。
イスラエルの長老たちは、この敗北を主によって打たれた出来事として理解しました。そこまでは正しかったのですが、それ以降の判断が間違っていました。彼らは契約の箱を陣営に運び込めば主の助けが得られると判断したのです。では、何が間違っていたのでしょうか。(1)神の遍在についての誤解がありました。神はどこにでも臨在しておられるお方です。契約の箱は、神の臨在を象徴する「しるし」です。イスラエルの民が神に忠実であるなら、契約の箱があるかないかにかかわらず、主は彼らに勝利を与えることができます。(2)確かに神の箱が先頭に立って戦ったという記録があります。特に、ヨシュア記6章のエリコの戦いがそうです。しかしこの戦いは、カナン入国に際しての特殊な状況下で、この戦いが主の戦いであることを民に教えるためのものでした。これを一般化するのは間違っています。(3)長老たちは、異教の民が行なっているような迷信的行為によって戦いに勝とうとしたのです。(4)エリの息子、ホフニとピネハスもまた、霊的洞察力のない祭司たちでした。主を知らないのですから、迷信的行為に走るのも当然なのかもしれません。
主のみこころに留まることこそ、最も安全な方法です。あなたは、迷信的信仰に陥っていませんか。悔い改めと、主への信頼こそ、人生に勝利をもたらす方法です。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。どうか私を迷信的信仰から解放してください。砕かれた心をもって、あなたに近づかせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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