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マルコの福音書9:9~13

9 さて、山を降りながら、イエスは彼らに、人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。

10 そこで彼らは、そのおことばを心に堅く留め、死人の中からよみがえると言われたことはどういう意味かを論じ合った。

11 彼らはイエスに尋ねて言った。「律法学者たちは、まずエリヤが来るはずだと言っていますが、それはなぜでしょうか。」

12 イエスは言われた。「エリヤがまず来て、すべてのことを立て直します。では、人の子について、多くの苦しみを受け、さげすまれると書いてあるのは、どうしてなのですか。

13 しかし、あなたがたに告げます。エリヤはもう来たのです。そして人々は、彼について書いてあるとおりに、好き勝手なことを彼にしたのです。」

エリヤに関する疑問

弟子たちの疑問

山を降りながらイエスは、「人の子(ご自身のこと)が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と特に命じます。それを聞いた弟子たちの心に、さまざまな疑問が湧いてきます。(1)「死人の中からよみがえる」とはどういうことなのか。彼らは、十字架も復活も理解していませんでした。(2)エリヤの役割と神の国の到来にはどのような関係があるのか。弟子たちは、律法学者たちが、神の国が到来する前にエリヤが戻って来ると教えていたのを知っていました。(3)バプテスマのヨハネとエリヤの関係はどうなっているのか。

イエスの答

以上の疑問に、イエスは明確にお答えになります。(1)マラキ書には、メシアの道備えをする先駆者の預言が2種類出てきます。マラキ書3:1は、メシアの初臨の前に登場する無名の先駆者の預言です。新約聖書になって、これがバプテスマのヨハネだということが明らかになります。(2)マラキ書4:5~6は、メシアの再臨の前に登場する預言者エリヤに関する預言です。(3)弟子たちの混乱の原因は、メシアの来臨には、初臨と再臨の2つがあることを理解していなかったところにあります。
以上のことをまとめるとこうなります。(1)バプテスマのヨハネは、エリヤの型として来た。それが、「エリヤはもうすでに来たのです」の意味です。(2)人々はエリヤの型として来たバプテスマのヨハネを苦しめ、殺しました。メシアであるイエスもまた、それと同じ扱いを受けます。(3)メシアの再臨の時には、エリヤ自身が遣わされます。
ユダヤ人たちは今でも、過越の食事で、エリヤのための席を用意しています。彼らはエリヤの到来と、それに続くメシアの来臨を今も待っているのです。私たちは、メシアであるイエスがすでに来られ、救いを達成されたことを知っています。私たちが待つのは、再臨のメシアです。きょうも復活の希望と再臨待望の信仰を持って歩みましょう。私たちに与えられている約束と啓示とは、言葉に表わせないほど素晴らしいものなのです。

きょうの祈り

天の父なる神さま。信じる者に大いなる希望を与えてくださり感謝します。いつ主イエスが再臨されてもよいように、信仰の火を灯し続けさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一18~19、ヨハネの黙示録6