サポートする

マルコの福音書8:38~9:8

38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」

9章

1 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。」

2 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。

3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。

4 また、エリヤが、モーセとともに現れ、彼らはイエスと語り合っていた。

5 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

6 実のところ、ペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。

7 そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。

8 彼らが急いであたりを見回すと、自分たちといっしょにいるのはイエスだけで、そこにはもはやだれも見えなかった。

変貌の山でのイエス(2)

預言の成就

前回に引き続き、変貌山での出来事を取り上げます。変貌のイエスを目撃したという体験は、ペテロとヨハネとヤコブに深い印象を残しました。時間がたてばたつほど、その体験は意味深いものとなっていったことでしょう。
今回は、変貌山の出来事の意味について考えてみましょう。(1)モーセは律法を代表し、エリヤは預言者を代表しています。この2人が現われたということは、イエスが旧約聖書で預言されていたメシアであることを示しています。(2)イエスの姿が栄光に輝いたということは、イエスがメシアであることを証明しています。受肉前のイエスは、天上において神の子としての栄光に輝いておられました。しかしこのお方は、すべての栄光を脱ぎ捨てて、幼子として誕生してくださいました。イエスの公生涯において、ただ一度だけ、イエスの栄光が肉体を通り抜けて輝き出た瞬間がありました。それが、この箇所です。今再び、イエスは山を下りるに際して、栄光の姿をお脱ぎになります。これによって、主イエスが私たちをどれほど愛してくださっているかがわかります。(3)この出来事は、地上においてメシア的王国(千年王国)が確立されることを予表しています。目撃者であるペテロが、そのように証言しています(IIペテロ1:1518)。

死後の命の保証

変貌山の出来事は、死後の命を保証するものでもあります。モーセとエリヤは生きていたのです。モーセは肉体的に死にましたが、主ご自身がその死体を葬ったので、その墓がどこにあるかだれにもわからなかったとされています。一方エリヤは、生きたまま火の戦車に乗って天に挙げられています。モーセは復活にあずかる聖徒たちの姿を予表し、エリヤは携挙される聖徒たちの姿を予表しています。携挙とは、主イエスの再臨の時、生きたまま天に挙げられることを言います。
イエスを信じる者は、イエスとともに十字架に付けられ、イエスとともに復活しました。そして、イエスとともに栄光の姿に変えられます。主イエスにあってこのような希望を告白する者は、永遠に価値あるもののために生きるようになります。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私は、主の栄光が輝き出る日、御国が到来する日が必ず来ると確信します。きょうも、希望に向かって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一16~17、ヨハネの黙示録5