1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。
2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。
4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。
5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。
きょうの箇所は、安息日論争の続きです。場所は、安息日の会堂です。そこに片手のなえた人が置かれていました。恐らく、パリサイ人たちが意図的にその人をそこに置いたのでしょう。彼らは、イエスが律法を破るかどうか注目していました(パリサイ人たちが作った口伝律法によると、安息日に病人を癒すことは律法違反とされていました。ただし、命の危険がある時は、助けてもいいということになっていました。しかし片手のなえた人は、それに該当しません)。彼らは、もしイエスがその人を癒すなら、律法違反でイエスを告発しようとしていたのです。
ここでもイエスは、彼らの心を見抜いています。片手のなえた人を呼んで真ん中に立たせ、彼らにこう質問しました。「安息日に、善を行なうのと悪を行なうのとどちらがよいのか」つまり、病気を癒すのがよいのか、あるいは、殺すのがよいのかという問いかけです。答は当然わかっているのですが、パリサイ人たちは、心を頑なにして黙っていました。
マタイの福音書12:9~14を読むと、イエスが次のように語ったと書かれています。「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか」羊を助けてもよいというのは、パリサイ人たちの口伝律法です。マタイは、律法を知っていたユダヤ人たちに向けて福音書を書いたので、こうなっています。
さて、イエスは彼らの心の頑なさを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われました。彼が手を伸ばすと、すぐに、その手が元どおりになりました。それを見て、パリサイ人たちは喜ぶどころか、イエスに対して殺意を抱きました。彼らはイエスのメシア性を拒否したばかりか、ヘロデ党の者たちと一緒になって、イエスの暗殺計画を練り始めました。パリサイ人とヘロデ党の者たちは、政治的には対立関係にありました。しかし、不思議なことにその彼らが、イエスを敵に回すという一点で手を握ったのです。彼らの醜い姿から教訓を学びましょう。私たちも、悪しきことで一致するのではなく、むしろ、愛と正義のために一致するように願いましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私の内から頑なな心を取り除いてください。愛と正義のために一致することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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