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マルコの福音書2:6~12

6 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。

7 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」

8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。

9 中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、

11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。

中風の人の癒し(2)

律法学者の理屈

その場に数人の律法学者が座っていました。彼らは、イエスが語ることばを聞いて、次のように心の中で理屈を言いました。「罪を赦せるのは神だけだ。この男は、自分をいったい何だと思っているのか。これは、冒涜ぼうとく罪ではないのか」律法学者たちは、イエスから学ぼうという姿勢ではなく、イエスを非難する口実を探すためにそこに来て座っていたのです。知識はあっても、彼らには愛や憐れみの心はなかったのです。聖書は、知識は人を高ぶらせる、と教えています。知識を求めると同時に、謙遜さを身に付けることを学びましょう。

イエスの応答

次第に、イエスが神の子であり、メシアであることが明らかになってきます。(1)イエスは彼らの心をみな知っておられました。彼らが心の中でどのような理屈を言っているかを見抜いておられました。(2)イエスは彼らに、罪を赦すことと病を癒すこととはどちらがやさしいか、と質問されました。イエスにとっては、病を癒すことのほうがやさしかったのですが、律法学者たちにとっては、結果がすぐに見えるという意味で、病の癒しのほうが難しかったのです。そこでイエスは敢えて、律法学者たちが難しいと判断したほうを選択し、病の癒しを宣言されました。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」すると直ちにその人は起き上がり、自分が運ばれて来た床を取り上げ、歩き始めました。足の不自由な者が立ち上がって歩く姿は、救いが到来したことのしるしです(イザヤ書35:6、エレミヤ書31:8参照)。この癒しを目撃した人々は、仰天し、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめました。
ここまでで、イエスの本質が次第に明らかになってきました。イエスは悪霊を追い出し、熱病を癒し、罪の赦しを宣言し、罪が赦されたしるしとして足の不自由な人を立ち上がらせました。この方こそ、旧約聖書が預言していた約束のメシアなのです。きょうもまた、生きて働いておられるイエスとともにこの世に出て行く決心をしようではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。メシアであるイエスとともに歩む人生は、何と幸いなことでしょうか。きょうも、イエスとともにこの世に出て行きます。私をお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

雅歌3~4、ヤコブの手紙3