28 町の人々が翌朝早く起きて見ると、バアルの祭壇は取りこわされ、そのそばにあったアシェラ像は切り倒され、新しく築かれた祭壇の上には、第二の雄牛がささげられていた。
29 そこで、彼らは互いに言った。「だれがこういうことをしたのだろう。」それから、彼らは調べて、尋ね回り、「ヨアシュの子ギデオンがこれをしたのだ」と言った。
30 ついで、町の人々はヨアシュに言った。「あなたの息子を引っ張り出して殺しなさい。あれはバアルの祭壇を取りこわし、そばにあったアシェラ像も切り倒したのだ。」
31 すると、ヨアシュは自分に向かって立っているすべての者に言った。「あなたがたは、バアルのために争っているのか。それとも、彼を救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺されてしまう。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取りこわされたのだから、自分で争えばよいのだ。」
32 こうして、その日、ギデオンはエルバアルと呼ばれた。自分の祭壇が取りこわされたのだから「バアルは自分で争えばよい」という意味である。
クリスチャンになりたてのころは、誰でも大胆に証をしたり伝道したりすることを恐れます。それは、人の目を気にしたり、迫害を恐れたりするからです(今の日本では、迫害と呼べるほどの迫害はありませんが、それでも私たちは恐れます)。ギデオンもまた大胆さに欠けるきらいがありましたが、主は彼の信仰を祝し、素晴らしい結果をもたらしてくださいました。
(1)翌朝、町の人々はバアルの祭壇が取り壊され、アシェラ像が切り倒されているのを目撃します。それだけでなく、新しく築かれた祭壇の上には最良の雄牛が全焼のいけにえとして捧げられていました。彼らは動揺し、憤慨します。(2)彼らは調査を開始し、すぐに犯人はヨアシュの子ギデオンであることを突き止めます。あれほど秘密にしていたことが、すぐに公になりました。主の前に隠しおおせるものは何一つありません。(3)町の人々はヨアシュに詰め寄り、「あなたの息子を引っ張り出して殺せ」と迫ります。ギデオンは正しいことをしたのですが、町の住民たちはそのギデオンを殺そうとしたのです。この一事を見ただけで、当時のイスラエル人たちがいかに堕落していたかがわかります。
主の働きを進めると、それに反対する人々が出てきますが、同時にそれによって奮い立つ人々も出てきます。(1)ここではギデオンの父ヨアシュが正論を吐くようになっています。彼は、バアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから自分で争えばよいと語っています。ヨアシュは偶像には力がないことに気づいたのです。(2)ギデオンには「エルバアル」というあだ名が与えられます。それには、「バアルと争う者」、「バアルは自分で争えばいい」という二つの意味があります。これで、ギデオンの信仰はすべての人の知るところとなり、彼はこれ以降秘密裏に行動することができなくなります。
あなたは主イエスを伝えることを恐れていますか。批判する人とともに奮い立つ人も起こされることを思い、結果を主に委ねましょう。私たちが行なうことはすべて、白日の下に明らかにされるようになります。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。罪のこの世にあって、いつまでも中立であることは許されません。どうか大胆に、主を証することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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