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士師記2:6~10

6 ヨシュアが民を送り出したので、イスラエル人はそれぞれ地を自分の相続地として占領するために出て行った。

7 民は、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って【主】がイスラエルに行われたすべての大きなわざを見た長老たちの生きている間、【主】に仕えた。

8 【主】のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。

9 人々は彼を、エフライムの山地、ガアシュ山の北にある彼の相続の地境ティムナテ・ヘレスに葬った。

10 その同世代の者もみな、その先祖のもとに集められたが、彼らのあとに、【主】を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。

ヨシュア記から士師記へ

つなぎの役割

きょうの箇所は、ヨシュア記の最後(ヨシュア記242831)の部分のくり返しとなっています。そうすることによって、ヨシュアの時代と士師の時代をつないでいるのです。ヨシュアの時代は、イスラエルの民が崇高な信仰を持っていた時代です。それに対して、士師の時代は背教の時代です。どうしてそのような信仰の後退が起こったのでしょうか。
(1)ヨシュアの時代の人々(これを第一世代と呼びましょう)は、主に忠実に歩みました。ヨシュアは110歳で死にました。(2)ヨシュアの死後、イスラエルには主の奇跡を目撃した長老たちがいました(これを第二世代と呼びましょう)。これらの長老たちが生きている間は、イスラエルの民は主に忠実に歩みました。(3)ところが、第二世代の者たちが死に絶え、第三世代になると、イスラエルの民は自分勝手な歩みをするようになりました。それは彼らが、主をも、主の奇跡をも知らなかったからです。この第三世代の者たちがどのように歩んでいたかが、士師記の時代背景となっています。

私たちへの教訓

第三世代の者たちも、第二世代の者たちから主の奇跡についての教育を受けていたはずです。彼らにも知識はあったのです。しかしその知識は体験に基づいたものではなかったために、主を恐れ、偶像礼拝を拒否する力とはなり得なかったのです。人は、自分の親の信仰によって救われたり、生活したりするわけではありません。各人が、自分で主を知り、主の奇跡を体験する必要があるのです。
ここで、以下の点について考えてみましょう。(1)信仰とは知的知識だけでなく、体験的知識に基づくものです。あなたは、体験的に主を知っていますか。(2)クリスチャンは、次世代への信仰の継承に熱心に取り組むべきです。(3)クリスチャンホームに育った人は、それだけで安心することなく、自分自身が主を知り、主の御業を体験できるように祈りましょう。主は必ずあなたの信仰を祝してくださいます。

きょうの祈り

イスラエルの神よ。あなたは歴史を支配し、今も生きておられる神です。どうかあなたを体験的に知ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エレミヤ書38~39、詩篇65 ~ 66