10 イスラエル人が、ギルガルに宿営しているとき、その月の十四日の夕方、エリコの草原で彼らは過越のいけにえをささげた。
11 過越のいけにえをささげた翌日、彼らはその地の産物、「種を入れないパン」と、炒り麦を食べた。その日のうちであった。
12 彼らがその地の産物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエル人には、もうマナはなかった。それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫した物を食べた。
イスラエルの民は、ギルガルに宿営している時に、カナンの地に入ってから最初の過越の祭りを祝いました。その日は、ニサンの月の14日で、これはイスラエルの民が祝う3度目の過越の祭りとなりました。(1)1回目は、エジプトを脱出する直前に祝われました(出エジプト記12:1〜28)。(2)2回目は、シナイ山の麓で祝われました(民数記9:1〜15)。(3)それから39年間、過越の祭りは祝われませんでした。3度目は、ここギルガルで祝われました。
この祭りは、出エジプトの出来事が完了し、イスラエルの民が約束の地に入ったことを記念するものとなりました。
過越の祭りの翌日は、種なしパンの祭りの初日です。その日、イスラエルの民は「種を入れないパン」と、炒り麦を食べました。それらのものは、カナンの地の産物でした。カナンの地の産物を食べた翌日から、マナが降らなくなりました。(1)マナは荒野の食べ物です。地の産物は約束の地の食べ物です。(2)イスラエルの民の食生活が、マナから地の産物に移行したことは、彼らが出エジプトを完了し、約束の地に入ったことを象徴していました。
ヨルダン渡河以降のことをまとめると、次のようになります。(1)割礼の儀式が再施行されました。これは、アブラハム契約に基づく土地の約束が回復されたことを意味していました。(2)過越の祭りが祝われました。割礼の儀式によって、イスラエルの民は過越の祭りを祝える状態になりました。(3)マナから地の産物へと食物が移行しました。これによって、イスラエルの民が約束の地に入ったことが証明されました。
イスラエルの民が約束の地に入ったように、私たちもやがて「天のカナン」に入る時が来ます。その日を楽しみに、地上生涯を忠実に歩む人は幸いです。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。私を天のカナンへと導いてくださるあなたの御名を賛美します。どうかきょうも、あなたの臨在の雲に導かれて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
列王記第二11~12、使徒の働き25
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