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ローマ人への手紙15:22 〜 24

22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度もさまたげられましたが、

23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので

24 ─というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、─

長期計画(1)

パウロの将来の計画

ローマ15141627は、この手紙の「結論」の部分です。前回は、「執筆の目的」について学びました。今回は、「パウロの将来の計画」について学びます。パウロはローマのクリスチャンたちに、自分が抱いている計画について分かち合います。それがローマ152233の内容です。その箇所は、以下の3つの部分に分かれます。 長期計画(2224節)、 短期計画(2529節)、 祈りの格闘(3033節)。これらの部分から、私たちは少なくとも3つの教訓を学ぶことができます。 キリストにあって計画を立てる必要性、 計画を修正する柔軟性、 祈りの格闘の必要性。今回は、パウロが立てている長期計画について2回に分けて学んでみましょう。

キリストにあって立てた計画

パウロは、過去の成功の上に安住して、隠居生活を送ることもできたことでしょう。しかし、彼はそこに留まらないで、前進しました。彼の性格から考えて、献身以外の生活態度などあり得なかったのです。換言かんげんすると、神からの幻が彼をとらえ、彼に活力を与えたのです。私たちもまた、神からの幻に捉えられるなら、パウロのように生きることができます。各年代における計画は、それぞれ異なります。 青年期の計画は、人生の基礎作りが主要テーマとなります。 壮年期の計画は、自分に与えられた賜物たまものの活用が中心となります。 熟年期の計画では、次の世代の育成にも関心を払う必要があります。実感としては、熟年期の計画が最も難しいのではないかと思います。特に、自分の働きを締めくくり、収束に向かわせる作業は、容易なものではありません。
パウロは、「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、」22節)と書いています。(1)「そういうわけで」という意味は、他の人の土台の上に建てないことを原則にしてきたので、ローマ教会を訪問する時間的な余裕がなかったということです。彼は実に、エルサレムからイルリコに至るまで、巡回宣教をしてきたのです(19節)。(2)「あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられました」とは、願望はあったが、実現しなかったという意味です。「妨げられた」は、神や悪霊によってではなく、現実的に不可能であったという意味でしょう。
神からの幻に捉えられて前進する人は幸いです。日々のデボーションを通して、自分に与えられている幻を確認しようではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか私の人生が、あなたの幻に完全に捉えられたものとなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第一16~17、ルカの福音書23