22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、
23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので
24 ─というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、─
ローマ15:14〜16:27は、この手紙の「結論」の部分です。前回は、「執筆の目的」について学びました。今回は、「パウロの将来の計画」について学びます。パウロはローマのクリスチャンたちに、自分が抱いている計画について分かち合います。それがローマ15:22〜33の内容です。その箇所は、以下の3つの部分に分かれます。① 長期計画(22〜24節)、② 短期計画(25〜29節)、③ 祈りの格闘(30〜33節)。これらの部分から、私たちは少なくとも3つの教訓を学ぶことができます。① キリストにあって計画を立てる必要性、② 計画を修正する柔軟性、③ 祈りの格闘の必要性。今回は、パウロが立てている長期計画について2回に分けて学んでみましょう。
パウロは、過去の成功の上に安住して、隠居生活を送ることもできたことでしょう。しかし、彼はそこに留まらないで、前進しました。彼の性格から考えて、献身以外の生活態度などあり得なかったのです。換言すると、神からの幻が彼を捉え、彼に活力を与えたのです。私たちもまた、神からの幻に捉えられるなら、パウロのように生きることができます。各年代における計画は、それぞれ異なります。① 青年期の計画は、人生の基礎作りが主要テーマとなります。② 壮年期の計画は、自分に与えられた賜物の活用が中心となります。③ 熟年期の計画では、次の世代の育成にも関心を払う必要があります。実感としては、熟年期の計画が最も難しいのではないかと思います。特に、自分の働きを締めくくり、収束に向かわせる作業は、容易なものではありません。
パウロは、「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、」(22節)と書いています。(1)「そういうわけで」という意味は、他の人の土台の上に建てないことを原則にしてきたので、ローマ教会を訪問する時間的な余裕がなかったということです。彼は実に、エルサレムからイルリコに至るまで、巡回宣教をしてきたのです(19節)。(2)「あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられました」とは、願望はあったが、実現しなかったという意味です。「妨げられた」は、神や悪霊によってではなく、現実的に不可能であったという意味でしょう。
神からの幻に捉えられて前進する人は幸いです。日々のデボーションを通して、自分に与えられている幻を確認しようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか私の人生が、あなたの幻に完全に捉えられたものとなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一16~17、ルカの福音書23
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら