5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
聖書が明確に指示していない「グレーゾーン」についての学びが続いています。「互いに裁き合わない」という勧告は、「グレーゾーン」に関するものです。当時のローマ教会には、「日」に関する理解の差がありました。「ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます」(5節a)。それに対してパウロは、「それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい」(5節b)と教えました。実に単純明快な勧告です。
さらに、互いに裁き合わない理由が上げられます。「日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです」(6節)。(1)パウロは、弱い人も強い人も、同じ動機で動いているのだと言います。① 特定の日を重んじる人は、主を尊ぶためにそうしているのです。②(肉を)食べる人は、主に対して食べ、神に感謝しています。「神に感謝している」とは、食前に捧げる感謝の祈りのことでしょう。③(肉を)食べない人は、主を尊ぶためにそうしており、良心に基づいて行動していることを神に感謝しています。(2)パウロは、それぞれの動機が正しいので、食べても食べなくても、ともに神から受け入れていただけると教えています。つまり、「グレーゾーン」の事項に関しては、誰にも他の人をさばく権利はないということです。
さらに、他の人を裁いてはならない理由が上げられます。「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(7 〜8節)。(1)信者は、自己中心的な生き方から解放されています。つまり、自分だけのために生きている人はいないというのです。このような生き方は、自分は「キリストのしもべ」であるという認識から生まれるものです。(2)信者の動機は、生きるにしても、死ぬにしても、主のために行動したいということです。(3)お互いが、それぞれの確信や良心に基づいて行動しています。それゆえ、私たちは互いに裁き合うべきではないのです。他の兄弟姉妹たちの中に、主への信仰と献身とを見る人は幸いです。
きょうの祈り
天の父なる神さま。「キリストのしもべ」を自負する人たちは、主のために生き、主のために死ぬことを志しています。同じ道を歩んでいる兄弟姉妹たちを愛することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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