17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
「愛の勧め」についての学びが続きます。きょうの箇所(17〜21節)でも、6つの勧めが記されています(6番目はまとめです)。第1の勧めは「悪をもって悪に報いない」、第2の勧めは「すべての人が良いと思うことを図る」、第3の勧めは「すべての人と平和を保つ」でした。今回は、第4の勧めを見てみましょう。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」(19節)とあります。(1)パウロはトーラー(律法)に精通しており、そこから自由自在に引用することができました。申命記32:35にはこうあります。「復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ」(レビ19:18も参照)。(2)パウロの視点は、2テサロニケ1:6〜7でさらに詳細に説明されています。「つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります」
復讐が禁じられる理由を4つに分けて見てみましょう。(1)創造論的理由。個人的復讐は、被造世界の一部を裁き主にすることです。しかし、裁きは神の専属的特権であり、被造物に属するものではありません。神は、裁きに関して、私たちの助けを必要としてはおられません。(2)宣教論的理由。復讐心のある時に、人は福音を伝えることはできません。平和が保たれることは、宣教の秩序として重要です。(3)終末論的理由。神の裁きは、現在進行形であると同時に、終末に起こることです。従って、早まった行動を起こしてはなりません。(4)実践的理由。人間の判断は、必ずしも正確とは限りません。私たちはすべての情報を持っているわけではないのです。復讐心のある時は、聖霊よりも怒りに満たされています。そういう人は、クリスチャン生活の祝福を失っているのです。もし復讐したいと思っている相手がいるなら、裁きを主にゆだねましょう。それは、自分自身を解放する道でもあります。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたは、「復讐するは我にあり」と言われます。あなたに属する特権を、あなたにお返しします。どうか私を復讐心から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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