1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
パウロはこう勧告しています。「私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします」(新改訳)。新共同訳は、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます」となっています。
(1)「勧める」という動詞は、「パラカロウ」です。原文では、この動詞が1節の冒頭に出てきます。それだけでも、この動詞が強調されていることが分かります。この動詞には、「呼ぶ、励ます、促がす、強く勧める」などの意味があります。(2)この動詞から、「パラクレイトス」(助け主)という名詞が出てきます。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」(ヨハ14:16)。助け主=聖霊です(ヨハ14:26、15:26、16:7など参照)。(3)「パラカロウ」=「パラ」(そば)+「カロウ」(呼ぶ)です。つまり、ここでパウロは聖霊と同じような働きを実行していることになります。従って、新改訳の「あなたがたにお願いします」では、弱いと思います。あえて直訳すると、「あなたがたを呼び、励まし、促し、強く勧める」となります。
パウロは、「神のあわれみのゆえに」と書いています。「神のあわれみ」とは、1〜11章を要約した言葉です。キリスト教の教理の中心は、「恵み」です。そして、キリスト教の倫理・道徳の中心は、「感謝」です。「恵み」も「感謝」も、ギリシア語ではともに「カリス」という言葉です。
1 〜 11章で要約された「神のあわれみ」の内容は、以下のようなものです。(1)私たちは、信仰により、恵みによって、義とされました。(2)また、「キリストの内にあって」、数々の特権と祝福が与えられました。(3)さらに、信じる者すべてに、聖霊の内住が与えられました。これは、新約時代になってから与えられた恵みです。(4)そして、聖霊の内住のゆえに、神の命令に応答できる状態になりました。
私たちは、自由意志によってキリストのしもべとなりました。それゆえ、主であるキリストのご命令に従うことが喜びとなりました。パウロの勧告を律法的に捉えてはなりません。聖霊の内住を確認し、内面を聖霊のご支配にゆだねましょう。この状態が聖霊の満たしです。聖霊に満たされている度合いに応じて、私たちは神の命令に応答できるようになります。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。今私の心を、聖霊の支配にゆだねます。どうか私の心を愛と平安で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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