25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
29 神の賜物と召命とは変わることがありません。
「彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです」とあります。イスラエル人の現状の2面性に着目しましょう。(1)福音については、彼らは神に敵対しています。実はこの状態は、異邦人の益となっています。「あなたがたのゆえに、」とはそういう意味です。イスラエル人が不信仰に陥ったので、福音は異邦人に伝えられました。(2)選びについては、彼らは、神が先祖たちと結んだ契約のゆえに、愛されています。「選び」とは、民族的選びのことです。「先祖たち」とは、族長たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)のことです。神がイスラエル人に示しておられる愛は、契約に基づく愛です。特に重要なのが、アブラハム契約です。
「神の賜物と召命とは変わることがありません」とあります。パウロは、不変のものが2つあると言います。(1)神の賜物は不変です。これは、契約がもたらす祝福のことです。(2)神の召命もまた不変です。これは、民族的選びのことです。(3)以上の2つは、取り消すことができません。なぜなら、アブラハム契約は無条件契約だからです。この契約は、イスラエル人の不真実や罪によって破棄されるものではありません。
先に進む前に、救いの方法に関して再確認しておきます。(1)異邦人もイスラエル人も、すべて同じ方法で救われます。人は、恵みにより、信仰によって救われます。(2)そして、終末時代に救われるイスラエル人も、同じ方法で救われます。救いの方法は、いつの時代でも同じです。(3)「イスラエルはみな」の中には、不信仰のままで死んだイスラエル人は含まれません。「イスラエル人はやがて救われるのだから、今は彼らに伝道する必要はない」と主張する人がいますが、これは間違っています。イエスを信じないままで死んでいくイスラエル人は、永遠の滅びに至るからです。(4)それゆえ、今という時に、ユダヤ人伝道に励む必要があります。
異邦人クリスチャンの多くが、長い間、イスラエル人は不信仰のゆえに神に見放されたと考えてきました。パウロは、そのような異邦人の傲慢な姿勢を戒めています。「神の賜物と召命とは変わることがありません」という言葉を受け止め、それを自分の生活にも適用してみましょう。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。あなたの賜物と召命とは変わりません。これはイスラエル人だけでなく、私たちについても適用できる真理です。あなたから受けた召しに忠実に歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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