12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
イスラエル人の頑なさは、神の義についての無知から来ていました。「ぼたんの掛け違え」という言葉があります。最初のぼたんを掛け違えると、それ以降のぼたんはすべて間違った穴に掛かります。ここではそのことが起こっています。最初に掛け違えたぼたんは、神の義でした。そこから、さらに2つの掛け違え(誤解)が起こってきます。①最初の誤解は、「救いを受ける人」に関するもの、②次の誤解は、「伝道の必要性」に関するものです。今回は、第1の誤解を取り上げます。
ユダヤ人には、選民としてのプライドがありました。彼らには、種々の特権が与えられていました。律法と割礼が与えられているのは、ユダヤ人だけです。その結果、彼らは、神はイスラエル人のみを救うという確信を持つに至りました。しかしパウロは、こう書いています。「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです」(12節)。(1)ギリシヤ人とは、異邦人のことです。「区別」とは、「差異」、「違い」のことです。両者の差異は昔も今も存在しますので、「区別はありません」とは不思議な表現です。(2)これは、「義認の方法に関しては」という意味に解釈する必要があります。つまり、ユダヤ人も異邦人も、同じ方法で救われるということです。パウロは、選民意識を持ったユダヤ人に対して、驚くべきことを語っているのです。(3)「区別はありません」と断言できる理由は、「イエス・キリストはすべての人の主である」からです。主は、信仰を告白するすべての人を恵みによって救われます。
「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです」(13節)。(1)これは、ヨエル書2:32からの引用です。(2)「主の御名」とは、ヘブル的には主ご自身のことです。「呼び求める」とは、「信仰により、救いを求めて祈る」ことです。(3)ペテロは、ペンテコステメッセージ(使2:21)で、ヨエル書2:32を引用し、その預言をイエス・キリストに適用しています。使徒たちは、旧約聖書を用いて伝道メッセージを語ったのです。
「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです」という言葉は、私たちに救いの確証を与えるものです。信仰によってすでに救われていることを、神に感謝しようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。すべての人は同じ方法によって救われます。イエス・キリストは、すべての人の主です。私のような者をも救ってくださり、感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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