6 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。
7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
パウロは、「律法による義」と「信仰による義」を対比させて語っています。神の義とは、「信仰による義」です。人間は、救われるために種々の条件を付け加えたりします。しかし、福音に何かを付け加えるなら、それはもはや福音ではなくなります。
パウロは、救われる方法について次のように書いています。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(9〜10節)。(1)この聖句を基に、信じるだけではだめで、口で告白しないと救われないと教える人がいます。しかし、そうではありません。(2)この聖句は、交差対句法(キアズム)という形式で書かれています。「対句法」とは、同じ概念を並べて書くことです。「交差」とは、その概念が逆さになって出てくることです。例を上げて説明すると、こうなります。最初の句の概念が、A→Bだとすると、次の句の概念は、B→Aになります。これが交差対句法です。(3)9〜10節で実際にどうなっているか、見てみましょう。最初の句では、「口で告白し→心で信じる」、となっています。次の句では、「心に信じて→口で告白して」、となっています。これは典型的な交差対句法です。(4)つまり、この聖句は、告白と信じることが、同時に起こることを教えています。さらに言うならば、その告白は無言で神に対してなされている場合もあるのです。
(1)信仰の内容は、「神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださった」ということです。復活は、イエスの教えと行いとが、すべて真理であることを証明する出来事です。(2)告白の内容は、「イエスは主なり」ということです。(3)信仰による義を得た者は、失望させられることがありません。「聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない』」(11節)。これは、イザヤ書28:16からの引用です。「だから、神である主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない』」
信仰だけが救いの条件です。このことをしっかりと受け止め、誤った福音を伝えることのないように、留意しようではありませんか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたがイエスを死者の中からよみがえらせてくださったことを信じます。「イエスは主なり」と告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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出エジプト記33 ~ 34、箴言6~7
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