31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
これまでに、聖書が教える救いには3つの側面があることを学んできました。① 義認(過去形)、② 聖化(現在進行形)、③ 栄化(未来形)がそれです。これから学ぼうとしている8:31 〜 39は、1 〜 8章の議論の総まとめになっています。その特徴は、修辞的疑問文が多く出てくることです。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(31節)。「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか」(33節)。「罪に定めようとするのはだれですか」(34節)。これらの修辞的疑問文に注目しながら、「確信と賛美の歌」について学んでみましょう。
「では、これらのことからどう言えるでしょう」(31節a)とあります。「これらのこと」と何でしょうか。文脈を考えると、① 1 〜 8章全体、あるいは、② 直前の内容、このいずれかです。ここでは、直前の内容を採用したいと思います。
直前に書かれていた祝福を列挙すると、次のようになります。(1)私たちは、神の養子とされた(15節)。「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」。(2)私たちは、キリストとの共同相続人とされた(17節)。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」。(3)救いの保証として御霊を受けた(23節)。「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます」。(4)聖霊の執りなしがある(26節)。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」。(5)罪の赦しと栄化の保証が与えられている(30節)。「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」
以上の祝福を前提に、パウロは「確信と賛美の歌」を神にささげます。まことに、真理は私たちを自由にし、私たちを賛美する民に変えます。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたから受けている祝福を思うとき、あなたを賛美せざるを得なくなります。忘却の民になるのではなく、きょうも感謝する心を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
創世記 37~38、マルコの福音書 14
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