29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
パウロは、5つの動詞を真珠のネックレスのように繋いで、神の摂理がどのようにして働くのかを説明しています。今回は、第5の動詞「栄光を与える」を取り上げます。
「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」(30 節)とあります。(1)第5の動詞「栄光を与える」は、「ドクサゾウ」という動詞です。これは「からだの贖われること」であり、救いの完成です。つまり、私たちの栄化が成就するということです。摂理は、栄化というゴールに私たちを導く神の御手です。(2)ここでの疑問は、なぜ「聖化」が出てこないのか、ということです。「義認」の次に、すぐに「栄化」に移っています。しかし、よく考えてみると、「聖化」は「栄化」の中に含まれる概念です。「聖化」は、「栄化」の始まりです。そして、「栄化」は、「聖化」の完成です。従って、「栄化」を論じることの内に、「聖化」の過程が入っているのです。
ここまで4回にわけて「摂理を可能にする5つの動詞」について学んできましたが、そのまとめをしてみましょう。(1)以上の5つの動詞の時制は、すべてアオリスト形です。つまり、これらの動詞は、すでに起こった事実として描写されているということです。神の視点からは完成しているのです。(2)「栄化」は、未来形で語られることがあります。1ヨハネ3:2にはこう書かれています。「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです」。「栄化」が未来のことだというのは、誰もが同意することです。(3)しかし、ローマ8:30 は、「栄化」さえもすでに完成したものとみなしています。これは、神の視点、終末的視点です。これによって、摂理が救いの完成を保証していることが、よく分かります。
しかし、摂理は、人間の期待どおりには動いていかないものです。私たちは、摂理というものをキリスト中心に理解する必要があります。摂理のゴールは、① キリストが第一になること、② キリストを長子とした多くの兄弟たちが誕生すること、そして、③ 私たちもまた、その中のひとりになることです。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたの目には、私の救いは完成しています。キリストを長子とした神の家族の誕生を待ち望みます。主イエス・キリストの御名によって感謝して祈ります。アーメン。
年間聖書通読
創世記 35~36、マルコの福音書 13
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