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ローマ人への手紙8:19 〜 20

19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。

20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

被造物のうめき(4)

アダムの責任

今私たちは、「栄化」のテーマについて学んでいます。「うめき(苦難)」は栄化に至る過程で起こってくる不可避の現象です。前回は、世界の堕落に関して、被造物には何の責任もないということを学びました。その責任は、アダムにあります。その内容を確かめるためには、創世記までさかのぼる必要があります。
創世記3:1718 にはこうあります。「また、人に仰せられた。『あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない」。(1)先に木から食べたのはエバですが、責任を問われているのはアダムです。神はアダムと契約を結ばれました。アダムが契約の当事者なので、契約違反の責任を問われているのです。(2)アダムの罪の影響が被造世界に及びました。つまり、土地がアダムの罪のゆえに呪われたということです。土地は「いばらとあざみ」を生じるようになり、アダムの労働は苦痛に満ちたものとなりました。

被造物の望み

しかし、被造物には望みがあります。「それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです」(20節)とあるとおりです。(1)被造物は、「神の子どもたち」の現れを切実な思いで待ち望んでいます。つまり、アダムの罪による呪いが取り除かれ、栄光に変えられることを待ち望んでいるという意味です。(2)アダムの堕落によって呪いが被造の世界に入って来たとするなら、人類が堕落から救われることが被造の世界の再創造の条件になります。
私たちは、常に終末的視点で生きることを意識する必要があります。地上生活は一時的なものであり、私たちは旅人にすぎないことを思い出しましょう。地上のものに固執するなら、私たちの魂はそれによって束縛されます。ピリピ3:1821にはこうあります。「…彼らの最後は滅びです。…彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。終末的希望を持つことは、今を生きる力となります。私は地上では旅人にすぎないことを告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記 11~12、マルコの福音書 5