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ローマ人への手紙8:19 〜 20

19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。

20 それは、被造物が虚無きょむに服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。

被造物のうめき(3)

被造物のうめきの原因

今私たちは、「栄化」のテーマについて学んでいます。「うめき(苦難)」は栄化に至る過程で起こってくる不可避の現象です。1920節にはこうあります。「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです」
(1)被造物の擬人化は、典型的なヘブル的手法です。 詩篇98:8には、「もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって【主】の御前で喜び歌え」とあります。 さらに、イザヤ書5512には、「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす」とあります。川、山、丘が手をたたいたり、歌ったりすることはありませんが、それを人間の動作で表現すると、喜びの感情がよく伝わります。(2)擬人法ぎじんほうに慣れ親しんだユダヤ人たちにとっては、「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです」という言葉は、実にしっくりと心にひびくものです。

自分の意志ではなく

さらにパウロは、「それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです」と言います。つまり、世界の堕落に関して、被造物にはなんの責任もないということです。(1)被造物は、自分の意志で虚無に服したのではありません。虚無というのは、「堕落」「崩壊」「滅び」のことです。(2)被造物が虚無に服しているのは、服従させた方がおられるからです。それは父なる神です。(3)そこに、被造物の希望があります。それは、服従させた方がおられるなら、その方は、いつか破壊された被造物を元の状態に回復してくださるに違いないという希望です。
被造物は切実な思いで「神の子どもたち」の現れを待ち望んでいます。「神の子どもたち」とは、私たち信者のことです。つまり、私たち信者が栄光の体で現れることを待っているということです。被造世界はアダムの堕落によって呪いを受けました(この点については次回学びます)。その呪いが取り除かれるのは、私たちの栄化が完成する時です。キリスト教の救いは、単に個人的なものではありません。それは全宇宙を包含ほうがんした壮大な救いです。信仰の目を広げ、上にあるものに目を留めようではありませんか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。宇宙の救いという壮大な計画の中に私を含めてくださり感謝します。私の信仰の目を広げてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記 9~10、マルコの福音書 4