18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
パウロは、ローマ8:18〜27で3つの「うめき」について記しています。これらの「うめき」は、私たちが「栄化」に向かう過程で起こるものです。具体的には、① 被造物のうめき(8:17〜 22)、② 神の子たちのうめき(8:23 〜25)、③ 御霊のうめき(8:26〜 27)の3つです。まず、「うめき(苦難)」について語る資格がパウロにあったのかどうかを論じたいと思います。
18節にはこうあります。「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」。(1)彼は、クリスチャン生活における苦難を否定していません。「いろいろの苦しみ」というのは、複数形です。苦しみは種々あるのです。キリスト教はご利益信仰ではありません。また、苦難は不信仰のしるしでも、神から見放されていることのしるしでもありません。(2)ここでパウロは、ある比較を行っています。それは、「現在の苦難」と「将来私たちに啓示されようとしている栄光」の比較です。そして彼は、「将来の栄光」があまりにも素晴らしいので、比較すること自体が無駄なことだと言っています。
パウロほど苦難を経験した人はいません。そのことは、使徒の働きに記された彼の伝道生涯を読めばよく分かります。また、パウロが書いた書簡の内容からも、彼が通過した苦難がいかに過酷なものであったかが分かります。彼は、単に本からの知識によってではなく、自らの体験から語っているのです(2コリ6:3 〜 5、11:23 〜 28参照)。パウロは、終末的視点で生きた人です。それは私たちが手本とすべき生き方です。(1)地上での生活は一時的なものです。その先に、私たちには予想すらできないような質的に異なった世界が待っています。(2)もし私たちが、富であれ苦難であれ、地上のものに目を注ぐなら、それによって束縛されます。それゆえ、上のものに目を注ぐ生き方を志す必要があります。
2コリント4:16〜18に目を留めましょう。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」
きょうの祈り
天の父なる神さま。地上のものにではなく、上にあるものに目を注ぐことができますように。外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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