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ローマ人への手紙5:3 〜 5

3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、

4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

義認の喜び(6)

失望に終わることがない

昨日に続いて、3〜5節を学びます。パウロは、(1)クリスチャンには「今の時の忍耐心」が与えられていると論じました。クリスチャンは、「…苦難をも誇り」としている(3節a、新共同訳)人々です。(2)患難を誇りとする理由は、クリスチャンは「…患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(3節b〜4節)。(3)さらにパウロは、この希望が失望に終わることはないと言います。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(5節)。失望に終わることがない理由は、クリスチャンには、神の愛が注がれているという認識があるからです。

内住の聖霊

この認識は、内住の聖霊を通して与えられます。人は、キリストを救い主として信じた瞬間、霊的新生を体験します。と同時に、内住の聖霊が与えられます。新生と聖霊の内住は、同時に起こることです。(1)ローマ8:9にはこうあります。「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません」。もし内住の聖霊がないというなら、その人は最初から新生していない、つまりクリスチャンにはなっていないのです。(2)さらに、1コリント3:16にはこうあります。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」。(3)聖霊の内住は、新約時代の信徒だけに与えられる祝福です。エレミヤはそのことを預言していました。「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。─【主】の御告げ─わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレ3133
クリスチャンは、自分の内に聖霊がおられることを認識し、そのお方の主権を学ぶ必要があります。聖霊は私たちの心にささやきかけてくださいます。「あなたは神に愛されている」と。それゆえ、この希望(栄光の希望)は失望に終わることがないのです。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。内住の聖霊を感謝します。聖霊を通して、私の心に神の愛が注がれています。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ネヘミヤ記1~2、ヨハネの手紙 第一2