3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
義認の喜びの第4番目のものは、「今の時の忍耐心」です。「そればかりではなく、苦難をも誇りとします」(3節a、新共同訳)とあります。すでに述べたように、「カウカオマイ」という動詞には、「誇る」という意味と、「喜ぶ」という意味があります。新改訳と口語訳は、それを「喜ぶ」と訳しています。
3節の冒頭に、「そればかりではなく」という言葉が出てきます。① 直前の箇所でパウロは、「神の栄光にあずかる希望」を誇るのは当然のことであると教えていました。② この希望は、聖化の完成、つまり栄化の希望のことです。③ しかし、義認の恵みを受けた者は、「神の栄光にあずかる希望」を誇るだけではなく、それ以上のことを誇りとします。④ クリスチャンは、普通なら誰もが嫌がる苦難(患難)をも誇りとしているのです。これは驚くべき真理です。
クリスチャンが通過する患難の種類を見てみましょう。① この世から来る憎しみがあります。「この世」とは神に敵対する世界観や仕組みのことです。② サタンや悪霊からの誘惑があります。私たちが神の子とされた瞬間から、サタンは私たちを標的にしています。③ 肉の思いがあります。単に情欲のことではなく、自己中心、妬み、虚栄、嫉妬などがそれです。④ そして、神の御心による患難も考えられます。クリスチャンになってからも、私たちは患難を通過します。なぜなのでしょうか。その答えが、次に出てきます。
「それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(3節b 〜 4節)とあります。(1)ここには、私たちが患難を誇りとする理由が書かれています。患難は、私たちの内にキリストの似姿を造り出す原動力となります。(2)ここで、この箇所に見られる霊的公式を見てみましょう。① 患難+恵み=忍耐。② 忍耐+恵み=練られた品性(練達)。「練られた品性」とは、ギリシア語で「ドキメイ」です。これは、金属を火で試し、品質を確かめることを意味します。また、試された結果、純粋であることが証明されたものをも指します。これは、神の承認がある品性という意味です。③ 練られた品性+恵み=希望。この希望は、品性に神の承認があるので生まれるものです。以上の公式のキーワードは、「恵み」です。きょうも「恵み」により頼むことを実行しましょう。恵みにより、患難が希望に変えられます。
きょうの祈り
天の父なる神さま。患難が希望に変えられるという約束を感謝します。どうか私の人生が、その約束の成就を見る人生となりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エズラ記9~10、ヨハネの手紙 第一1
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