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ローマ人への手紙5:1 〜 2

1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

義認の喜び(4)

栄光の希望に関する誇り(2節b)

義認の喜びの第3番目は、「栄光の希望に関する誇り」です。「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」(2節b、新共同訳)とあるとおりです。ここでの動詞は「カウカオマイ」というギリシア語ですが、これには「誇りとする」、次に「喜ぶ」という意味があります。この言葉の用例は、以下のものです。 2:17。「もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、」。 2:23。「律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか」。 それ以外に5:2、3、11などがありますが、これらの聖句に関しては、新改訳は「カウカオマイ」という言葉を、「誇る」ではなく、「喜ぶ」と訳しています。
クリスチャンの希望は、聖化の完成です。聖化が完成した状態を栄化といいます。これは救いが完成した状態のことです。私たちは恵みによって義とされ、恵みによって聖化され、恵みによって栄化されます。最初から最後まで、クリスチャン生活は「恵み」により頼む生活です。霊的指導者の役割は、霊的幼子おさなごに「恵みへのアクセス」を教えることです。常に恵みの中を歩み続けるなら、その人は栄化の確信を持ち、栄化の希望を誇りとするようになります。

キリストとの共同相続人

8:17にはこうあります。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」。この聖句から、次の4点を学ぶことができます。 私たちは、キリストと栄光をともに受ける。 そのために、今しばらくの間、キリストと苦難をともにする。 私たちは、「からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(8:23)。つまり、栄光のからだに変えられることを待ち望んでいるということ。「目に見える望みは、望みではありません」(8:24)。目に見えないからこそ、それは希望である。
コロサイ3:4にはこうあります。「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます」。この聖句は、信者は自分が栄化されるだけでなく、神の栄光の中に置かれるようになるという真理を教えています。自分のからだがやがて栄光に変えられることを待ち望み、それを誇りとして歩もうではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたを知らなかった時には、死への恐怖がありました。今は、復活の希望が与えられています。それを誇りとして歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エズラ記7~8、詩篇127 ~ 128