1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
義認の喜びの第一番目は、神との平和です。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(1 節)
(1)私たちの状態は、「信仰によって義と認められた」というものです。ここで使用されている動詞の時制は、ギリシア語文法で「アオリスト」というものです。これは、一度限りの行為、再度くり返されることはないもの、決定的事実を示しています。私たちが信仰によって義とされたのは、決定的事実です。それゆえ、過去を振り返るのではなく、将来を見るのです。(2)神との平和もまた、義認と同様に、イエス・キリストを通して与えられます。ここで、1:18を見てみましょう。「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです」。この聖句には、「神の怒り」がありました。しかし、5:1では、神との平和が語られています。なぜ神の怒りが取り除けられ、神との平和が可能になったのでしょうか。次の3点に注目しましょう。① 神の怒りがイエス・キリストに注がれ、神は満足され、怒りが静められた。② それゆえ、イエス・キリストを信じる者は、神との平和を得ている。③ 神との平和は、最も重要な祝福である。
神との平和は、感情的なものではなく、成就した真理です。(1)これは心に平安があるかどうかを論じているのではありません。感情に頼る信仰生活には、危険性が付きまといます。神との平和が与えられているのに、心に不安を感じている人がいます。それとは逆に、神との平和がないのに、勝手に心に平安を感じている人もいます。カルト宗教の場合は、後者のケースです。(2)感情で信仰を判断するのではなく、聖書研究と神のことばへの信頼によって、信仰生活を歩むことが重要です。(3)「神との平和を持っています」という動詞は、現在形です。これは、継続する動作や状態を表す時制です。義認はすでに起こった事実(アオリスト)であり、神との平和は現在進行形の事実です。(4)キリストの死によって、神と私たちの間にあった敵意が取り去られました。まず神が、罪人に対する態度を変化させてくださったのです。次に罪人である私たちが、その事実に応答しました(2 コリ5:19〜 20参照)。私たちは、神との平和を持っています。ハレルヤ!
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私から、重荷が取り除けられました。イエス・キリストを通して、あなたとの平和を得ました。この恵みに感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エズラ記3~4、ペテロの手紙 第二3
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