23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
次に進む前に、ローマ4章全体の復習をしてみます。この章では、かつてはパリサイ人だったパウロが、神の恵みを説いています。これは180度の方向転換です。復活のイエスとの出会いが、彼の人生を変えたのです。パウロは、義認と律法の関係について、6つのことを論じました。
① アブラハムの場合はどうか(1 〜5 節)
彼は、信仰によって義とされました(創15:6)。それは、ギリシア語の「ロギゾマイ」という言葉で表現される恵みです。たとえて言えば、「働いていないのに、自分の口座に入金される」ようなものです。
② ダビデの場合はどうか(6 〜8 節)
ダビデを取り上げている理由は、彼が律法の時代に生きた人だからです。アブラハムは、モーセの律法が与えられる前の人です。律法の時代に生きたダビデも、アブラハムと同じように信仰によって義とされました。
③ 割礼をどう考えるか(9〜 12節)
割礼をどう考えるかというのは、ユダヤ人から出てくる疑問です。パウロはそれに答えて、アブラハムは割礼を受ける前に信仰によって義とされた、と説明しました。ユダヤ人も異邦人もともに、信仰によって義とされるのです。
④ 相続人の約束をどう考えるか(13〜16 節)
義認も、相続人の約束も、ともに信仰によります。もし律法によるというなら、世界の相続人とされる人はひとりもいなくなります。なぜなら、誰も律法を完璧に行うことはできないからです。
⑤ アブラハムの信仰の普遍性とは何か(17〜22 節)
信仰の対象は神です。信仰の内容は神の約束です。アブラハムは、希望に反して信じました。彼は、疑わないで信じたのです。
⑥ 私たちへの適用とは何か(23〜25 節)
信仰の対象は神であり、信仰の内容は福音です。人は福音を信じる信仰によって義とされ、相続人とされます。この約束は、信仰と恵みによるので、確実です。一度救いを受けたなら、それを失うことはありません。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私たちは、恵みによって救われ、恵みによって完成させられます。きょうのあなたの恵みに信頼して歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ダニエル書11~12、ペテロの手紙 第二1
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