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ローマ人への手紙3:21 〜 26

21 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。

22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、おおやけにお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

26 それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

神の義(1)

ここまでの復習

今パウロは、義認について論じています(1:18 〜5:21)。「神の義」を提示する前に、彼は「人類の有罪宣言」を論じました(1:18 〜 3:20)。その箇所は長い挿入句です。きょうの箇所から「神の義の提供」(3:2126)についての論考が始まります。3:21は本来1:17につながるものです。1:17はロマ書のテーマ聖句で、次のようになっていました。「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」

義認の意味

義認とはどういうことでしょうか。(1)「義認」とは、「義とされること」、「義と認められること」です。英語では、「justification」、あるいは、「beingjustified」です。「義認」は、救済論の中で最も重要な用語です。(2)「義認」とは、私たちの本質が「義」となるということではありません。これは、私たちが「義である」との宣言を受けることです。(3)「義認」とは、法律用語(法廷用語)です。つまり、神が私たちを「義である」と宣言してくださることです。そういう意味で、これは「転嫁された義」です。イエスの義が信じる者の上に転嫁てんかされるのです。英語で「imputed righteousness」と言います。

神の義の啓示(21節)

「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました」。(1)神の義は、「律法とは別に」示されました。この「律法」には定冠詞ていかんしが付いていません。つまりこの「律法」は、「律法の原理」のことです。ここでパウロが論じている「神の義」は、律法を行うことによって得られる義ではないということです。(2)神の義は、「律法と預言者によってあかしされて」いました。この「律法」には定冠詞が付いています。つまり、モーセの律法のことです。ここでパウロが論じている「神の義」は、旧約聖書に預言されていたものです。
異邦人であってもユダヤ人であっても、自力救済は不可能です。私たちに与えられている唯一の救いの道は、イエス・キリストを信じる信仰による義です。神は、イエスの義を私たちの上に転嫁してくださいます。今、信仰によって救われていることを神に感謝しようではありませんか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。信仰による救いを感謝します。主イエスの義が私の義とされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ルツ記3~4、詩篇115 ~ 116

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