サポートする

出エジプト記40:34 〜 38

34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。

35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。

36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。

37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。

38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。

出エジプト記のまとめ(1)

神の意図

出エジプト記の「まとめ」を2 回に分けて記す。今回のテーマは、「出エジプト記は神の計画の中でどのような位置を占めているか」というものである。
(1)神の意図は、神の計画を実行する民を育て、カナンの地に植え付けることにあった。その民とは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である。(2)神は彼らをカナンの地に置き、神を信頼する民がいかに祝福を受けるかを諸国(異邦人たち)に示そうと計画された。カナンの地は、目立つ地、危険な地、世界の列強が行き来する地である。(3)イスラエルの民は、エジプトで一大民族として成長した。彼らは400 年間奴隷としての生活を送ったが、ついに自由の民となる日がやって来た。

出エジプト記の構造

(1)1 〜18 章は、出エジプト体験である(クリスチャン生活に置き換えれば、洗礼を受けるところまで)。 10 の災害はエジプトの偶像の裁きであった。過越の祭りが設定され、それがイスラエル人の歴史の起点となった(過越の祭りは、私たちの救いの起点でもある。過越の祭りは、メシアの死の型である)。紅海を渡った奇跡は、民が【主】の力と恵みを体験するためのものであった。出エジプト記というタイトルに惑わされてはならない。なぜなら、出エジプト記という書は、奴隷からの解放だけで終わっていないからである。出エジプト体験の目的を知ることこそ、重要である。ちなみに、ヘブル語のタイトルは「ヴァエレー・シュモット」(さて、これらが名前である)となっている。
(2)19 〜24 章は、シナイ契約とモーセの律法に関する啓示である(神がどういうお方であるかを知ること)。律法は救いの条件や方法ではない。律法は、神に選ばれ自由の民となった者への生活の指針である。その本質を、山上の垂訓に見ることができる。イエスは、すでに信じた者たちにモーセの律法の解説を行われた。つまり、新生体験を経た者は、神のご性質を反映するような生き方を始めるということである。
(3)25 〜40 章は、幕屋と神の臨在に関する啓示であった(神との交わり)。 40:34 〜35 でシャカイナグローリーが幕屋に満ちた。金の子牛事件が障害となったが、最後はシャカイナグローリーが現れた。イスラエルの神は、民と共に歩む神である。メシアの名が「インマヌエル」(マタ1:23)であることと符合する。きょうも、主イエスが私たちと共に歩んでくださることを覚え、神に感謝しよう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。出エジプト記は、クリスチャン生活の縮図です。さらにあなたを知り、あなたとともに歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書46~47、ピリピ人への手紙2