34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。
35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。
36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。
37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。
38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。
エジプト脱出以来、イスラエルの民と共にあった【主】の臨在は、ついに幕屋の中に宿った。「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである」。(1)神の約束通りのことが起こった。神は、完成した幕屋を認定し、その幕屋をご自身の宿りの場とされた。(2)雲が幕屋を覆った。エジプトを出た直後からイスラエルの民を導いた雲の柱が、形を変えて幕屋の上に臨在した。これまでシナイ山を覆っていた雲が地上に下り、幕屋を覆ったのである。(3)【主】の栄光が幕屋に満ちた。これは、幕屋の中(聖所と至聖所)に満ちた超自然の輝きであり、人間が直視することのできない光である。(4)モーセは幕屋に入ることができなかった。彼は至聖所に入り、契約の箱の位置を確認したばかりであった。また聖所にいて、机、燭台、香の壇の位置を確認したばかりであった。
幕屋は、もしシャカイナグローリーが宿らないなら、ただの天幕に過ぎない。それと同じように、もし神と出会わないなら、聖書は単なる本で終わる。しかし、信仰をもって読み始めると、聖書は単なる本ではなく、神のことばであることが分かるようになる。出エジプトの出来事の目的は、イスラエルの民が神を知ることにあった。神を体験的に知らなければ、約束の地は祝福の地とはならない。
「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである」。(1)雲がイスラエルの民を導いた。昼の雲は、方向性を示し、日陰を提供した。夜の火は、同じく方向性を示し、野獣から宿営を守った。(2)イスラエルの民の責務は、雲を見上げ、それに従うことであった。
新約時代に生きる私たちには、主イエスから目を離さないようにという勧めが与えられている。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブ12:2)。今、主イエスを見上げよう。主イエスから目を離さないで、地上生涯を全うしよう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。主イエスは神の栄光の現れです。今私は、主イエスに信仰の目を注ぎます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エゼキエル書44~45、詩篇83 ~ 84
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