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出エジプト記32:21 〜 24

21 モーセはアロンに言った。「この民はあなたに何をしたのですか。あなたが彼らにこんな大きな罪を犯させたのは。」

22 アロンは言った。「わが主よ。どうか怒りを燃やさないでください。あなた自身、民の悪いのを知っているでしょう。

23 彼らは私に言いました。『私たちに先立って行く神を、造ってくれ。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。』

24 それで、私は彼らに、『だれでも、金を持っている者は私のために、それを取りはずせ』と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」

アロンの弁解

アロンに対するモーセの言葉

モーセはアロンに語りかけた。「この民はあなたに何をしたのですか。あなたが彼らにこんな大きな罪を犯させたのは」。この言葉から、モーセがアロンのことをある程度まで信用していたことが分かる。モーセには、アロンが自分の意志でこのような愚かなことをするとは思えなかったので、民からの脅迫があったのではないかという判断を下し、なぜ民にこんなに大きな罪を犯させたのかと問うているのである。

アロンの回答

アロンの回答は弁解そのものである。弁解の本質とは何かを学んでみよう。(1)アロンは、民は本質的に悪い性質を持っているのだ、と答えている。「わが主よ。どうか怒りを燃やさないでください。あなた自身、民の悪いのを知っているでしょう」。彼は、「わが主よ」という謙遜な言葉を口にしながら、民の悪癖あくへきについてはモーセもよく知っているはずだと言い、自分の責任を軽くしている。(2)さらにアロンは、民が自分に強く要求したのだ、と答えている。「彼らは私に言いました。『私たちに先立って行く神を、造ってくれ。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから』」。あのモーセという者がどうなったのか、分からないというのは、モーセに対する侮辱ぶじょくである。アロンは、40 日もいなかったモーセにも責任があるのではないかと、密かにモーセを責めている。(3)極め付きは、子牛は自然に出て来た、という言い訳である。「それで、私は彼らに、『だれでも、金を持っている者は私のために、それを取りはずせ』と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです」。アロンが金を捧げるように命じた、という事実は隠されている。そして、金を火に投げ入れると、自然にこの子牛になったと言い逃れをしている。アロンが鋳型いがたを作ったことは隠され、この子牛が奇跡的に誕生したかのように説明されている。
弁解は、決して生産的な結果をもたらさない。自らの罪を認めることが、赦しと和解に至る第一歩である。「幸いなことよその背きを赦され 罪をおおわれた人は。幸いなことよ【主】が咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」(詩32:1 〜 2)。弁解しているうちは、本当の悔い改めにはなっていない。私たちに関しては、【主】の前に自らの真実な姿を告白しよう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。今も私は、アロンのような弁解を口にする愚かな者です。どうかお赦しください。告白によって平安を得ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エレミヤ書40~41、詩篇67 ~ 68