6 あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。
7 偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。
8 わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。
9 あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなたがた自身がよく知っているからである。
その他の規定(分類できないもの)の7 回目の学びである。正義と公正に関する条項が続く。「あなたの貧しい兄弟が訴えられた場合、裁判を曲げてはならない。偽りの告訴から遠ざからなければならない。罪のない者、正しい者を殺してはならない。わたしは悪者を正しいと宣告することはしないからである。わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである」。(1)裁判においては、証人は誤った動機で証言してはならない。誤った動機とは、貧しい人たちへの筋違いの配慮である。裁判では客観的事実だけが重要で、当事者が富んでいるか貧しいかは考慮すべきことではない。(2)「偽りの告訴から遠ざかる」とは、無罪の人を訴えてはならないということである。(3)「罪のない者、正しい者を殺してはならない」とは、冤罪を排除せよということである。(4)さらに、贈賄、収賄が禁止されている。以上の規定は、21 世紀の今日にもそのまま当てはまる。神の性質を考えることこそが、正義と公正を行う動機となる。どのように行動すべきか迷った時には、神の性質を思い起こし、正義と公正を実現する選びをしよう。
「あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなたがた自身がよく知っているからである」。(1)在留異国人を大切にせよという命令は、すでに出エジプト22:21 に出ていた。(2)この規定の背後にあるのは、エジプトで奴隷として生活したという経験である。自らのエジプトで経験した苦しみが、他者への思いやりを生むのである。
モーセの律法は、キリストの十字架の死によって全うされ、無効となった。つまり、新約時代の信者は、モーセの律法の下にはいない(新約時代の信者には、「キリストの律法」が与えられている)。それでもモーセの律法を学ぶ理由は、そこから出て来る第二義的適用(霊的教訓)を学ぶためである。ここでの教訓は、苦難を通過した人は、苦難の中にいる人を励ますことができるようになるということである。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」(2 コリ1:4)
きょうの祈り
天の父なる神さま。旧約聖書の学びから霊的教訓を受け取ることができますように。自分が通過した苦しみの体験が、隣人への奉仕に役立ちますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
列王記第二25、イザヤ書1、ローマ人への手紙1
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