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出エジプト記23:1 〜 5

1 いつわりのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。

2 悪を行う権力者の側に立ってはならない。訴訟そしょうにあたっては、権力者にかたよって、不当な証言をしてはならない。

3 また、その訴訟において、貧しい人を特に重んじてもいけない。

4 あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。

5 あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷したじきになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。

その他の規定(6)

裁判における正義と公正

その他の規定(分類できないもの)の6 回目の学びである。「偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。悪を行う権力者の側に立ってはならない。訴訟にあたっては、権力者にかたよって、不当な証言をしてはならない。また、その訴訟において、貧しい人を特に重んじてもいけない」。この規定は、裁判における正義と公正を担保たんぽするためのものである。(1)証人は、悪者からの圧力があっても、真実を証言しなければならない。(2)また、多数の者からの圧力があっても、真実を証言すべきである(「権力者」という言葉は、「多数の者」とも訳せる)。(3)同情すべき状況であっても、証人は真実を証言しなければならない。もちろん、貧しい人へのあわれみの心は重要で、聖書は一貫して、貧しい者への配慮を教えている。しかし、もし貧しい人が罪を犯しているなら、証人は、貧しい人を擁護ようごするのではなく、真実を語らねばならない。

動物に対する正義と公正

次に、動物に対しても真実をくすようにとの命令が与えられる。「あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない」。(1)敵の家畜であっても、迷っているものに出会ったなら、必ず所有者に返さなければならない。相手が敵であるということと、家畜が困っているということは、別問題だからである。(2)こちらを憎んでいる者の家畜が苦しんでいるなら、それを助けてあげなければならない。これもまた、家畜への配慮がその動機になる。(3)モーセの律法は、一貫して動物愛を説いている。人間に与えられている使命は、自然界の管理である。
私たちは、生活のあらゆる場において、正義と公正を求めるべきである。なぜなら、神がそのような性質を持ったお方だからである。日々の生活の中で、「イエスさまならどうされるだろうか」と自らに問いかけるのは、素晴らしいことである。また、「イエスさまは私に何を期待されているだろうか」と問いかけることも、素晴らしいことである。さらに、「私が実行すべき聖句は何だろうか」と問いかけながら聖書を読むのは、最高に素晴らしいことである。

きょうの祈り

天の父なる神さま。聖句を心に蓄えます。どうか状況に応じて、それを取り出し、適用することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

列王記第二23~24、使徒の働き28